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Astronaut

宇宙飛行士に憧れていました。科学、ポルトガル語、アニメ、ブラジルetc、取り扱っております。

平方根の法則からみる人間や生物の体が原子に比べて大きな理由。

science

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人間の体は大きいか。
これだけでは全く言葉が足りてなくてよく意味が分からない。身長2メートルの人は僕から見れば大きくてうらやましいし(でも冷静に考えたら、そんなに高くなくてもいいと思う。)クジラや象やキリンなどに比べれば人間は比較的小さい。まして宇宙全体で見ればものすごく小さいとも見れる。

じゃあ人間の体は原子に比べたら大きいか。

別に人間じゃなくても構わない。ほかの生物、犬でも猫でも虫でもいい。その体はすべて数えきれないくらいの無数の原子でできている。

言い換えるとなぜ原子は生物の体に比べてこれほどまでに小さいのか?
原子の大きさはおよそ1×10-10(m)だ。
この質問に対する一つの答えというか見方をシュレーディンガーという量子力学の波動方程式で有名な科学者が説明していた。それによると“平方根の法則”という粒子の不規則な運動が関係していた。平方根の法則について説明し、最初の質問に答える。

まるで生きているかのような動きをするブラウン運動

前もほかの記事で書いたのだけど、ブラウン運動という現象がある。
水面に浮かぶ花粉や、空気中に浮かぶ霧の水滴などを顕微鏡を用いて観察すると粒子は常に、まるで暴れまわっているように不規則に運動しているのが見える。これがブラウン運動である。
なぜこのようなことが起こるかというと、花粉などの粒子は常に、自身の周りにある粒子と全方位で衝突を繰り返しているからである。水に浮かべた花粉の場合は周りの水分子と衝突している。


じゃあ霧の中の微小な水滴を考える。空気中をさまようそれらの水滴も、やはりブラウン運動をしているのだけど、重力があるので全体を平均すると徐々に下に引きずられているということができる。
シュレーディンガーはもう一つ別の例えを挙げる。

拡散によって粒子が移動するのはランダムな動きによる

四角い容器に水が満たされている。四隅の一角あたりに紫色の溶液、過マンガン酸カリウムをたらす。色がそれなりに濃い溶液なら何でもよい。入れてすぐは溶液を垂らしたあたりだけ紫色がついているが、時間がたつとともに、ゆっくりと全体に広がり、最終的に全体に均一に薄く紫色がつく。これが拡散である。

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ここで理解することは、垂らした紫色の溶液は垂らしたところから“好んで”より薄い方向に動いているわけではないそのような力や傾向があるわけではない。ただ平均化されていくだけだ。
 紫色の溶液の粒子は絶えず水分子と衝突しながら、ランダムに動いている。ランダムに動いている。ある時は濃度の高いほうへ、ある時は濃度の低いほうへ・・・・。それでも一定の時間がたつと全体に広がり均一になる。それはなぜかというと、まさに粒子が全くランダムに動いているからということになる。
ちょっとだけ言葉を変えて説明すると、単純に濃い部分と薄い部分があるとする。ランダムに動いているので、濃い部分から薄い部分に行く粒子もあれば、薄い部分から濃い部分に行く粒子もある。しかし濃い部分のほうが元々粒子が多いので、当然、濃い部分から薄い部分に行く粒子のほうが数が多い。
このようにして、ランダムな動きをするがゆえに、拡散され均一になる。考えてみれば当たり前のことだった。
 これらのことを通してシュレーディンガーが言いたかったことは、

物理法則は多数の原子の運動に関する統計学的な表現であること、全体を平均した時の近似に過ぎないということである。
簡単に言うと今の場合、粒子は完全にランダムに動いているだけだが、平均し全体で見ると濃度の高いほうから低いほうに移動しているし、観測結果はそのようになるということ。ランダムな動きは人間の目に見える巨視的なところでは起らない。

これが生物を構成する原子に当てはまる。

なぜ人間の体が原子に比べて大きいのか???

人間の体の原子も同じように非常に細かくランダムな動きをしている。それは言い換えたら、“無秩序”なふるまいをするということである。でも人間の体も動物の体も、様々な臓器や神経などが有機的に連動して、“秩序”のある機能をもって生命を維持している。
だからこそ原子はあんなにも小さく、原子に比べて生物の体ははるかに大きい。1個体の原子の数が膨大であるから、その無秩序さが平均化されて、生命にとって致命傷にはならなくなるからだ。
 先程の例で百個の粒子を空気中にばらまいたとする。それらは気体分子と衝突しながら、四方八方をさまよいつつも、重力により平均としては下に引っ張られる。しかし、ある一瞬だけを切り取ってその百個の粒子を観測すれば、ほとんどの粒子はもちろん落下しているが、わずかに数個の粒子は上昇しているものがあるはずである。それはその瞬間、粒子は重力という宇宙の法則に逆らっているといえる。
 このように平均から外れたふるまいをする粒子の頻度は平方根の法則と呼ばれるものに従う。つまり粒子の個数の平方根の個数の粒子は例外的なふるまいをするのである。√100=10。100個の粒子があれば、10個の粒子が重力に反発し、上昇する。
 もしたった100個の粒子から成り立つ生命体がいたとする。その生命体の体のうち、10個の粒子は生命活動を維持するのに何の役にも立たない。例外的な動きをする。体が100個の粒子であれば、10%もの高い割合で不正確さを被ることになる。これでは生命としては非常に困ったことになる。10000個の粒子ならば100個。この場合1%の不正確さで済むことになる。これがシュレーディンガーが指摘した、“原子はなぜこんなに小さいのか?”また“原子に比べて生物の体はなぜこんなに大きいのか?”に対する答えになる。
つまり、

それは、粒子の統計学的振る舞いに不可避の誤差率(√n/n)の寄与をできる限り小さくするためである。


参考文献(下はアフィリエイト広告です。)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

この本を買ってしばらく読んでなかったのだけど、読んでみたらかなり良かった。それは“生命とは何か?”という深淵なテーマに対して御自身の研究より福岡先生の一つの考えをまとめている。もちろんいまだにその問題の議論が終わったわけではないけれど、遺伝子操作の不可逆性から、生命の定義に“時間性”を取り入れるという内容がとても面白かった。
 序盤にウイルスについての記述がある。ウイルスは生命かどうか。ウイルスの物質的な側面として、呼吸をしない、栄養を摂取しない、老廃物を出さない、つまり代謝がない、また純粋なものを集めると結晶化できるなどがある。これだけを見るとその振る舞いは極めて鉱物に近い。しかし一方で生命のような側面として、自らを殖やすことができる。つまりDNAをもって自己複製能力を持つ。
生命を“自己複製能力を持つシステム”と定義してしまえばウイルスは生命である。しかし著者はウイルスを生命とは考えない。
 ウイルスに関する話がメインかと思っていたけど、それは最初のほうだけだった。
この本は生物学の知識だけでなく、
研究結果、論文の価値が受け入れられることの難しさや
信頼性のあるデータをとる大切さや
ノーベル賞に届かないが核心的な研究を行っていた科学者についてなど
興味深い内容が多かった。