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Astronaut

宇宙飛行士に憧れていました。科学、ポルトガル語、アニメ、ブラジルetc、取り扱っております。

不確定性原理とは何か、世界一分かりやすく説明するよ。

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今回は不確定性原理について、できる限り直感的に理解しやすいようにまとめたい。
数式では、

ΔxΔp ≧ h (または h/4π)と表される。

この式で、xは位置、pは運動量、よってΔxとΔpはそれぞれ位置と運動量の不確定性を表している。不確定性とはとりあえず誤差のようなものと思えばいい。右辺のhはプランク定数なので、右辺は定数である。もしΔxまたはΔpが0だったら、≧hを満たさなくなるので、ΔxかΔpどちらか一方でも0になることはあり得ない。また例えば、Δxを0ではなく、限りなく0に近づけると、≧hを満たそうと思ったら、Δpは限りなく無限大に近づく。言い換えると位置の誤差Δxを限りなく0に近づけて、できる限り正確に位置xを求めようとすれば、Δpが無限大となり、その粒子の運動量は全く分からなくなる。運動量が全く分からなくなるということは、普通、運動量p=mvであるので、mは質量であり、基本は一定だ、だから、v、すなわち速度が全く分からなくなり、たとえその瞬間位置が分かったとしても、微小時間後、どこにその粒子が存在しているかは、全く分からなくなるという意味である。 不確定性原理を図にすると下のようになる。

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どちらかを0にしようとすれば、片方が無限大に近づく。この法則が原子レベルの、またはも小さな粒子にのミクロな世界においては常に付きまとい、量子論を保護し、宇宙の様々な現象と密接な関係がある。
数学的に導く過程はそんなに触れない(というか僕もわからない)。
どのようにして不確定性原理が生まれてきたのか?
また聞く人が受け入れやすい説明だけでなくその本質が意味するものとは何か。
次記事で不確定性原理故に成り立つ現象について取り上げた。

光子や電子の波動性や粒子性について

後の説明のためにもどうしても、このことを先に出しておかないといけないが、これはよく聞くところなので細かい説明は省く。
重要なのは、光子や電子などの粒子は、すべて“粒子”としての性質と、“波”としての性質を併せ持つ。ある時は粒子としてふるまい、ある時は波としてふるまう。実験によって粒子として、また波としての姿を現す。両方の性質を同時に観測することはない。まず、そもそも“粒子”と“波”というものが全然違うものだということを知っておかないといけない。

粒子と波の特徴の違い

粒子としての性質は身の回りでも体験することなのでイメージしやすい。何かボールを考えればいい。テニスボールでも、ピッチャーが投げるボールでもいい。
ピッチャーが時速150kmで球を投げるとき、もしその球が1時間飛び続けるなら、1時間後には150km先にその球はある。
すなわち粒子状の物体には

明確な位置があり、
明確な速度があり、
明確な質量がある。
質量と速度をかければ、運動量を求めることもできる。大型のラブラドールと小型のプードルが同じ速さで動いていても、ラブラドールのほうが運動量が大きい。運動量とは、その物体を静止させるのがどれだけ大変か?を表す量である。
他にも粒子には分かり切った性質がある。
粒子は数えることができる。(1個、2個・・・・・)


一方波は粒子のようにはつかみどころのないものである。
波とは、池に石が落ちたときにできる、山と谷のパターンのように何かが揺れる動きを指す。その性質から空間に拡がっていき、生じるパターンは時間とともに変化しながら移動する。そのとき物体そのものは移動しない。波というのは物体そのものではなく、状態である。
また波を記述するのにつかわれるいくつかの言葉がある。

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波には

位置がない。波長や周波数は全体としてのパターンを表すが、波の位置として特定できる場所はない。波は空間的な広がりのあるものである。
粒子のように数えられない。波はあるか無いかしか言えない。
2つの波は干渉することができる。


このように粒子と波の性質を明確にすると、二重性を持つということがどれだけ奇妙なことなのかピンとくると思う。粒子は一点であり、波は広がっている。どうしてその二つが共存できるのか。

ここで勘違いしてはいけないのは、光子や電子の粒子が集まって、波としてふるまうというのではない。それは、次に紹介する実験からよくわかる。一つの粒子でも波としての性質を併せ持つということである。

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一個でも波としてふるまう粒子

粒子の波動性を明らかにしたのは有名な二重スリットの実験である。
電子を飛ばし、二重スリットを通過させて、その先にあるスクリーンに残る痕を観測する。
電子は波である。二つの波が触れると、その二つの波はお互いに干渉し、一つの波になる。山と山、谷と谷が重なれば、振幅は、二つの山、谷を足したものになり、山と谷、谷と山が重なれば引き算される。二重スリットを通過したスクリーンの先に映る電子も、波として強め合う、弱め合う場所があり、スクリーンには縞模様が映し出される。これを知っている人は多いと思うが、量子としての電子の本当に面白いところはそこではない。まず、

①二重スリットの実験において、スリットを片方閉じたらどうなるか?

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上図のようにスクリーンには一本のラインが現れる。

②次に下のスリットだけ開いた場合

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同じように下にライン一本。

③スリットを二つ開くと? f:id:kenya316:20161112132553p:plain
①と②の状態が足しあわされるだけかと思うがそうではない。
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実際は上図のようになる。これは光が波で、スリットを抜けた後の波が干渉し強め合う部分と弱め合う部分ができるからである。
こちらのサイトもよくまとめてある。

ここまでは普通の二重スリットの実験である。あまり知られていないのではと思うのは、実は電子を一発ずつ、十分な時間間隔をあけて放つことができる。そして電子がスクリーンにあたった箇所に電子痕がどんどん増えていく。そのやり方で電子を何万発も放つ。

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スクリーンだけ並べてある。左から右に時間経過と共に電子の衝突の痕が少しずつ増えていって、やはり縞模様になる。
スリットに向けて、ピストルで一発ずつ弾を放つのを想像すればよい。

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放たれた弾はどちらか一方のスリットを通って、スクリーンに届くだけだ。しかし光子や電子でこれを何万発も繰り返すと、スクリーンには縞模様ができる。電子が、一つの粒子なら、スリットを通った後、いったい何と干渉しているというのか?という話になる。このことからわかるのは、ミクロな世界の粒子は単純な粒子でも、単純な波でもないということである。
実験の結果から一つの粒子でも干渉を起こしていることが分かる。それは電子は一つでも空間的な広がりを持った波としての性質を持つということだ。もっと言うと、スリットを通る瞬間、電子は右のスリット、左のスリット、両方を通っているということになる。量子論においては粒子は同時に別々の場所に存在できる。人間でいえば日本にいながら、アメリカやブラジルにもいるようなものだ。これは僕たちが普段見ているマクロな世界では常識的にあり得ないことだが、観測される結果はあたかも、発射された一つの電子が、波として両方のスリットを通過して、自身と干渉し、スクリーンに当たった瞬間に、粒子として跡を残す。スクリーンに到達する直前まで広がっていた波としての広がりは瞬時に消える。ちなみにこの挙動は、アインシュタインの相対性理論の核である宇宙で一番早いものは光であるという法則を無視している。だからという訳ではないが、アインシュタインはずっと量子論を否定し続けた。このように電子はスクリーンにあたり、“観測”した瞬間に一点に収縮したとしか言いようのないふるまいをするのである。
ここが重要で、“観測”を行うと電子の波は収縮し粒子としての姿を現すと考えられた。

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じゃあ我々が“観測する”というのは一体どういうことなのだろうか?観測とはそもそも何か。
その部分に目をつけて、ハイゼンベルグは、思考実験(条件を指定し頭の中だけで行う実験)をして、不確定性原理を提唱した。

ミクロな世界の観測の限界から、不確定性原理を唱えたハイゼンベルグ

結果を観測するためには、つまりものを見なければならない。ものを見るということは、ものに光が当たり、返ってきた光を目でとらえる。これが観測だ。ものを見るためには光を当てなければならない。

ハイゼンベルグの思考実験

光学顕微鏡で電子の位置を測定しようとする。この時、光の波長よりも短い距離は見分けることができない。そのため、電子の位置を正確に測定するためには、できるかぎり波長の短い光を使わなければならない。

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一方電子の運動量を測るには、コンプトン効果を利用する。電子にぶつかったときの光の散乱方向と波長の変化から、電子の運動量が調べられる。
このとき、運動量の大きい光子(=波長の短い光子)を使うと、衝突された電子の運動量変化も大きくなる。よって運動量を正確に測りたければ、波長の長い光子を使わなければならない。
ちなみにE=hµ という式がある。Eはエネルギー、hはプランク定数、µ = c /λ でcは光速度、λは波長、運動量が大きいということはエネルギーが大きいということ、E= h×c /λなのでλ(波長)が短ければ、E、運動量は大きくなる。

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例えば、野球のボールに光が当たったとしても、進行方向が変わるということはない。ボールが光に比べて大きいからだ。しかし、電子となると話は別である。波長の短い光が当たると大きく影響を受ける。進行方向が変わり、運動量が増す。すると運動量を正確に測ることが難しくなる。
つまり、
位置を正確に測りたいなら、波長は短くなければならず、
運動量を測りたいなら、波長は長くなければならない。


そこでハイゼンベルグは、位置と運動量の測定値の不確かさの積には限界値があると考えた。不確定性原理はよく“ハイゼンベルグの”不確定性原理と呼ばれる。それは不確定性を初めて次の数式で表したからだ。

ΔxΔp ≧ h (または h/4π)

しかし、上記の説明では不確定原理は、“正確な位置と正確な運動量を同時に測定できない”という意味になるが実はそれは違う。不確定性原理の本当に意味するところはもっと深い。それをこれから見ていく。そもそもハイゼンベルグの思考実験は一つであり、それがすべての場合に一般的に当てはまるかは言い切れない。不確定性原理は“観測の限界”についての記述ではない。実際に位置と運動量を正確に同時に観測することは可能だからだ。簡単に言えば、運動量は保存されるのだから、初めから運動量を測定しておいて、電子に短い波長の光を当てて、位置を正確に測定すればよい。これを提案したのはボーアであり、ハイゼンベルグも同時に測定できる場合があることを認めている。

この部分のポイント

ハイゼンベルグの業績は初めて不確定性原理を数式で表したこと
しかし、思考実験は一つだけで、一般性はない。
のちに位置と運動量を同時に正確に測定する実験が提案されハイゼンベルグもそれを認めた。
ハイゼンベルグは不確定性原理を“粒子としての性質”のみから導いたことが不十分だった。
ボーアやケナードは“波動性”もふまえて不確定性原理を導いた。


本質的な不確定性原理は粒子性と波動性の産物である

ボーアはまずよく知られた関係式(先ほども出た)E=hµ, p=h /λ を取り上げ、これは“粒子と波の二重性を表現している”と述べる。

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これは理解しやすい。まずEやpは粒子の概念である。粒子は1個、2個と数えられる物体なので、エネルギーや運動量を持つ。そして振動数µや波長λは波を記述する値である。
これはこの後の説明を少しでも理解しやすくするために入れた。ここで重要なのは、波長がばらついている、つまり異なる波長を重ね合わせているということは、その重ね合わせた波長の数に相当する運動量が存在し、すなわち、運動量が不明確であるということだ。 次の説明はいくつか本を見てもスッキリするものがなかったので、一番イメージで理解しやすかったチャド・オーゼルの犬でもわかる現代物理から引用した。言葉は少し簡単にしてある。写真も同じ本の中にあったものである。ちなみにこの本は、量子論の初心者にはお勧めだ。
犬でもわかる現代物理

犬が庭にいるウサギを捕まえようと狙っている。そのためには、ウサギの正確な位置と状態が知りたいとする。しかし、今話しているのは、ミクロな世界なので、このウサギは粒子としてまた波としてふるまうとする。

量子的ウサギを作り出す

粒子を数学的に記述する一般的な方法には波動関数を用いる。波動関数の任意の位置の二乗は、その粒子が見つかる確率を表す。波動関数についてはもっと専門的な本を見ないとわからないのでここでは触れない。ここで大切なのは、どのような波動関数なら、粒子と波の両方を表現できるかということだ。

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上は粒子としての分布。つまり、庭のある一点にウサギがいる。ほかのところにウサギがいる確率は0である。しかしこれは粒子としてだけの記述である。

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これは波長をもつ確率分布。ウサギを見つける確率が場所によって高かったり、低かったりする。この図では波長ははっきりしている。山と山の間を測ればいい。そこからただ一つの運動量を求められる。しかしウサギのいる位置を特定することはできない。ウサギウサギウサギウサギウサギうさぎウサギ・・・
庭中に散らばっている。うさぎは一匹だがいろんな状態のウサギを考慮している。

求めたい波動関数はその中間である。次のようになる。

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うさぎが見つかりそうな空間は、先ほどよりも狭い空間に絞られ、その他の部分では0になる。領域内で確率が増減するため、波長もわかる。すなわち運動量もわかる。これが求めていた波動関数で粒子性と波動性を持たせることに成功しているが、その結果、粒子(うさぎ)と位置の運動量のどちらにも多少の不確定さを持っている。位置の不確定性は見た通り、ウサギのいる可能性のある部分は5か所ある。
運動量にも不確定性がある。それはなぜかというと、この波動関数の作り方による。これは、いくつもの運動量の異なる波を集めたものだからである。いくつもの並みを重ね合わせて“波束”を作るにはどうするか。同一のウサギでも、自由に庭をはねているウサギと犬の接近に気づいて動きを速めたウサギの波、同一の存在の異なる波を重ね合わせている。

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上の二つは、二つの状態のウサギとする。その下はその波を重ね合わせたもの。強めあう部分と弱め合って0になる部分が出てくる。一番下は二乗して確率を求めている。
今は二つの状態の同一のウサギを考えたが、3つ、4つの状態を考え重ね合わせていくごとに波束は狭まっていく。

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下は一つの状態、上に行くにつれて3つ、5つと異なる波長の波を多数、重ね合わせている。このように状態を重ね合わせることが不確定性原理の起源である。

上に行けば行くほど(つまり多くの波を重ね合わせるほど)、ウサギのいる場所は絞られる。一番下は一つの波であり、波長も一つなので運動量は一つだが、位置は全く分からない。このように、不確定性原理は、粒子性と波動性の二重性により生まれる。ハイゼンベルグは粒子性のみから不確定性原理を説明したが、ボーアは粒子性と波動性の両方をもって不確定性原理を導いている。

紛らわしいポイント

ハイゼンベルグの思考実験は理解しやすいが、この結果から得られるものは“位置と運動量を同時に正確に測定できない”というもので、実際は同時に測定する思考実験もある。
不確定性原理はハイゼンベルグの述べたように、“観測の限界”についてではなく、“実際の限界”についての考察である。
“ハイゼンベルグの”と呼ぶのは数学的な式で示したことによるもので、本質的な説明ではなかった。
ボーアやケナードによると、不確定なのは測定誤差ではなく、標準偏差である。標準偏差とはいくつもデータをとった時にどれくらいばらついているかを示す。



ケナードの不確定性原理は、

[位置の標準偏差]×[運動量の標準偏差] がある一定の値以下にはならないというものである。言い換えると、量子論では、位置と運動量を同時に確率1で予測することはできないということである。


“実際の限界”ということについての理解を少しでも助けるために、最後にアインシュタインが示した可動式スリットの思考実験を載せる。

【理解を補うために】可動式二重スリットの思考実験

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先ほどの二重スリットとほとんど同じである。異なるのは、スリットの壁が衝撃が加わると上下に移動することができるようになっている。

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アインシュタインは、一個の電子がaかbの経路をたどってスクリーンに到達すると考える。aの経路をたどった場合、スリットは電子がぶつかった衝撃で、ほんの少し上に動く。それを観察すればどちらのスリットを通ったかが観測でき、さらにスリットがどのくらい動いたかを測れば、エネルギーは保存されるので運動量が正確にわかり、それを何発も繰り返す。すると運動量の標準偏差は0の状態で、スクリーンに縞模様ができる。この縞模様の幅は有限なので、電子の位置の標準偏差は有限で、運動量の標準偏差は0なので不確定性原理が破れると主張した。
これに対してボーアは、

“アインシュタインの提案した運動量の制御は、その隔壁の位置の知識に不確定性をもたらし、そのために肝心の干渉現象が消滅することが分かる”(ボーアは実際に計算している)

と反論した。
つまりある電子について、それが上のスリットからか下のスリットからかわかるほどの正確さで運動量を測定ならば、それによって生まれる位置の不確定さは本来の干渉縞の間隔以上になってしまうという。

これは思考実験であることを忘れてはならない。そのような装置を組み立てたとしてもそれだけ正確に運動量を測るのはおそらく難しい。電子のスリット内壁への衝突でどれだけスリットが上下に移動するかも怪しいところである。ボーアの言っていることは現在、基本的には受け入れられている内容である。同時にそれはあまりにも奇妙な挙動と言える。アインシュタインの言うように正確に運動量を測るのは簡単ではないから、おそらく縞模様は表れる。ボーアの言っていることは、しかし、もし正確に運動量を測ることができれば、縞模様は消えるといつことである。それは正確に観測するという行為が、電子のふるまいに影響を与えるということである。

続けてボーアはこうも言っている。
 

“私たちは、ある粒子の経路を追跡するか、あるいは干渉効果を観測するか、そのいずれか一方を選択しなければならないという事情があるからこそ、単一の電子、単一の光子のふるまいが、隔壁上のその粒子が通過しなかったことを示しうるスリットの存在に左右されるに違いない、というような逆説的な結論から逃れることができるのである。”



以上で終わりだが、特に最後のほうはまだ説明不足なので、いずれ加筆、修正する。
いくつか参考にした本があるが、個人的に一番良かったのが、
アインシュタイン vs. 量子力学: ミクロ世界の実在をめぐる熾烈な知的バトル
この本はとても良かった。
かなり詳しいわりに大学の量子論の本のような難しい数式はあまり出てこない。内容が難しそうだと思ったが、読みながら割とすっと頭に入ってくるように分かりやすく説明してある。不確定性原理をもう少し進化させた小澤の不等式など。アインシュタインがここまで量子論を嫌っているとは思わなかった。量子論を否定するための思考実験を何個も考えている。

長くなってしまったのでここまでだが、次回にこの不確定性原理から成り立つ現象をいくつか説明しようと思う。大体以下の通り。

トンネル効果から
  原子核の束縛を破ってのアルファ崩壊がなぜ起こりうるか。
  太陽がなぜ輝いているか。
なぜ原子はつぶれないか。
なぜ原子は大きいのか?=原子核の大きさに対して電子が飛ぶ範囲がそれほど広いか?
白色矮星と中性子星について



だいたい同じように説明できるので、そんなに長くはならない。極めて感覚的にわかる感じ。


次記事

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