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もし神がいるとしたらどんな方だと思う?その答えを信仰歴11年の僕が明かそうと思う。

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こんにちは。
突然ですが、神様っていると思いますか?
一度でいいので冷静に、そして真剣に考えてみてください。僕は必ずいると思っています。

神がいなければこのような宇宙が生まれるなんてありえないし。

人間だけは明らかに他の動物とは違いますし。

現在のような地球環境がたまたま出来るのは奇跡に等しい確率であるし。

そもそも宇宙が生まれるきっかけとなったビッグバンがなぜ突然起こるのでしょうか?

何の原因もなく?

そんなことはあり得ないです。
ビッグバンが起こったと思ったら、宇宙の中に存在する力が4つ(電磁気力、重力、核力、弱い相互作用)に分かれて、宇宙の形成を始めました。

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これがたまたまだと本気で思っているのであれば、改めたほうがいいです。原因なくそんなことが起こりませんので。

神の存在については昔から宗教家や神学者という人達を中心として考えられてきました。ただ日本人はキリスト教の民主主義の精神だけ受け継いで、にわか仏教にほぼ無神論者という方がほとんどですね。世界的にはかなり希少な例でしょう。

神がいると思っている人といないと思っている人では一体何が変わると思いますか?

実は神の存在はその人の人生観に神の存在は大きく関わっています。キリスト教は愛の神を、ユダヤ教やイスラム教ではもう少し厳格で厳しさを備えた神を謳います。日本人は神はいないという神観なのです。いくつか例をあげましょう。

例えば、もし神がいないのであれば、人間はただサルがたまたま進化しただけで、動物の一部です。つまり僕たちが食用にするためにブタや牛を殺すのと同じように、人間に対する殺しも理由によって正当化されうるということです。これが共産主義ですね。

人間を動物と定義してしまったら、本当の博愛主義や人道主義、人間一人の価値など一瞬で失われてしまいます。

また日本人はよく人の目を気にします。逆に考えてみましょう。もし神が目に見えるとして、我々の近くにいるとしたら、人の目と神の目をどちらをより気にするでしょうか。

神の目ではないですか?

日本人の精神は無神論であるがゆえに、人前に出ることを恐れる、人の目を気にするという病に陥りやすいようです。

また神がいるということは、死後の世界が存在するということになります。すると何が変わりますか?

答えは自殺や死刑制度です。

自殺する人は死んだら何もかもから解放されて終わりだと思っています。しかし神がいるなら死後の世界は必ず存在するし、自殺したとしても自分自身との付き合いが切れるわけではないのです。日本は先進国に比べて死刑制度が未だに普通に存在しますね。これも無神論的なところから来ています。聖書においてはイエス・キリストが行ったような「赦し」の精神が日本人には弱い気がします。

また神がいなければ、悪いことをしても、人にバレなければ問題ないってことになりますよね。でも神がいたらどうでしょうか。神がいて、誰も見ていなくても神は自分の行いをすべて知っているとしたら。

とてもじゃないですが、悪い行いは出来なくなるわけです。つまり真の神の存在を知るというのは、人を価値視することが出来、自分に絶対的な自信を持って生き、他人に対する赦しと慈しみ、および善行を積み重ねる生き方につながるというのが分かるかと思います。

さてそれでは真の神の存在を知るにはどうすればいいのでしょうか。今からそれを説明したいと思います。





作者と作品の関係

神の存在証明についてはしません。神がいると仮定して話を進めたいと思います。

神は目に見える存在ではないので、どうやってその神を知ることが出来るでしょうか。答えは神が創ったこの宇宙をよく観察することによって知ることが出来る、です。

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作者と作品の関係
神がいるとしたら、この宇宙や人間、生命、物理化学的法則など、すべてのものは神が創ったということになります。
つまり神はこの宇宙の「作者」であり、人間や動物、宇宙の中にあるものはすべて神の「作品」ということになります。

さて、そこで「作者と作品の関係」について考えてみましょう。

「作品」は「作者」によって生み出されます。作者が作品を考えます。「考える」という作業は「作者」の頭の中で行われることであって、当たり前ですが「作者」によって「作品」は異なります。それは「作者」の「思想、考え、価値観、潜在意識」が「作品」に投影されるからです。つまり「神」の「考え、理想、性質」等はこの宇宙のすべてのものに投影されたはず、とみるのです。

一つ例をあげましょう。
筆者は昔、芥川龍之介の小説を読むのが好きでした。芥川龍之介といったら、「蜘蛛の糸」「羅生門」「杜子春」「芋粥」「鼻」など多数有名な作品を残していますが、その作品の多くに共通することが「人間のエゴ」を描いているということです。
筆者は芥川龍之介に直接会ったことはありません。しかし、同じ作者の作品に多く触れてみることによって、“あぁ、この人はこういう人なんだろうなぁ”というのが何となくわかってくるわけです。
芥川龍之介の場合は、おそらくこの人は「人間のエゴ」について苦悩し、葛藤しながら生きてきたのではないか、ということが分かるわけです。
もちろんこれはまだあいまいな次元ですが、
神について論じる場合も同じです。
この宇宙に存在するいろんなものを眺めてみたときに、例えば人間、動物、植物、原子、分子、等、そのすべてに共通する事実が存在すれば、なぜそのようになっているのでしょう。

答えは神の中にも同じものがあるから、ということになります。

これを原理講論(*1)においては「普遍的共通事実」といいます。

さて、では先ほど挙げたものたちを観察してみましょう。するとある二つの共通事実があることが分かります。



陽性と陰性の二性性相

その一つ目は陽性と陰性がある!ということです。図にすると以下のようになります。

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人間においては男性と女性、動物においてはオスとメス、植物においてはオシベとメシベ、原子分子においては陽イオンと陰イオンまたは陽子と電子です。今は代表的なものを挙げましたが、実はすべてのものにこの陽性と陰性があります。人間のような比較的大きな生命体から原子、分子のような生命ではない、ただの物質に至るまでです。原子をさらに細かくしてもアップクォークやダウンクォークがありますし、すべて素粒子には超対称性粒子が存在すると考えられています。
 男性と女性がいるとか、オスとメスとかこいつは何を当たり前のことを言ってるんだ?とと思うかもしれないですが、なぜそのようになっているのでしょうか?
我々が生まれたとき、すなわち最初からそうだったが故に、当たり前だと思うかもしれないですが、なぜ地球に生命が生まれてそのようになったのか、ということを考えるととても不思議な現象だということが分かります。

しかし、もし、神が宇宙を創ったのであれば、それほど不思議なことでもないのです。つまり神の中にも陽性と陰性が存在しているから。これが答えであり、神の性質の一つとなります。これを原理講論では

「神は本陽性と本陰性の二性性相の中和的主体である」

と表現されています。
二性性相とは英語で「ペアシステム」という意味で、中和的主体とは、「陽性と陰性が一つの存在の中で共存している」という意味になります。
つまり神様の中には陽性的な要素と陰性的な要素の二つがあり、それらが完全に一体となっているということです。これは今までキリスト教等で考えられてきた神の性質、例えば、全知全能、偏在性、至善、至美、至真、正義、愛、赦し、創造主、審判主と比べても非常に具体的な神の性質であることが分かるかと思います。

それではもう一つの共通事実は何でしょうか?



性相と形状の二性性相

同じように宇宙に存在するもの、人間、動物、植物、原子分子などを見てみましょう。図にすると以下のようになります。

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もう一つの共通事実は性相と形状の二性性相といいます。性相とは一言でいえば目に見えない性質であり、形状とは物理的な形です。人間には心があります。心は目に見えないですし、どこにあるのかといわれても答えられないですが確かに存在します。人間の感情が極めて豊かであることを鑑みれば理解できるでしょう。最近の科学では心の最小単位のようなものをクオリア(質感)と呼ぶらしいです。そして人間には当然目に見える体があります。動物にも人間の心に該当する本能があり、体があります。しかし、本能といっても動物にも心があることは犬などを飼ったことがある方なら理解できるでしょう。犬を飼っていれば、主人が家に帰ってきたときにしっぽを振りながら近づいてくることはないですか?

しょっちゅうでしょう。

つまりその犬は喜びを表現しているのです。動物にも人間よりも次元は低いですが、喜怒哀楽があるのです。

では植物はどうでしょうか。心がないでしょうか。あるでしょうか。

あります。

植物にも目に見えない性質があります。それは植物自身が生命を維持するために必要な性質です。例えば植物は大抵の場合、太陽の方向に向かって伸びていきます。また日の光を浴びれば自動的に光合成をし、成長に必要な栄養分を創ります。これらは目に見えない植物の性質です。
しかし植物にも人間の心に呼応する場合もあります。とある研究では、片方の植物には罵倒する言葉を、もう一方の植物には良い言葉をかけながら育てたところ、罵倒しながら育てたほうは枯れてしまったというのを聞いたことがありませんか。

では原子や分子の場合はどうでしょうか。やはり目に見えない性質がありますよね。そのほとんどは電気的な相互作用で成り立っているかと思いますが、陽子と電子はお互いに引力を及ぼします。原子同士も同じです。固まって分子を形成しようとする性質があります。そのような性質がなければ、物質が形作られることはありません。

性相と形状にはある特徴があります。どちらがより重要であるかというと性相であるということです。性相が一次的なものであり、形状が二次的なものです。そのことを性相は主体であり、形状は対象であるといいます。これはイメージですが、主体とは影響を与える側で、対象は影響を受ける側です。
例えば、人間の場合、心の状態が体に現れてきますよね。今あなたが嬉しかったら、その顔は笑っているでしょうし、悲しかったら泣いているでしょう。人間の体は私たちにとって第二の心のようなものなのです。

さて、それではなぜこの宇宙にあるすべてのものに性相と形状があるのでしょうか。性相だけで全く物理的な形のないものとか、逆に形だけでほかのものと全く相互作用しないものとかこの宇宙に存在しませんよね?
だから全てのものに性相と形状があるといえます。
それはなぜか。

つまりこの宇宙の原因存在なる神の中にも性相と形状があるということになります。

ここで鋭い人ならちょっと待て、それは神様に物理的な体があるということか?と言ってくるかもしれません。それに対しては僕は回答は持ち合わせていますが、ちょっと長くなるので割愛させていただきます。また別の記事で。

神の2つ目の性質は原理講論では次のように書かれています。

このように性相と形状とを備えているそのエネルギーを存在せしめることによって、あらゆる存在界の究極的な原因となるところのある存在を我々は追求せざるを得なくなるのである。この存在は、まさしく、あらゆる存在の第一原因として、これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない。存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを神の本性相と本形状というのである。





原因存在とはどういうことか?

これは神の3つ目の性質の補足的な説明になります。
3つ目の性質はこれまでのようにこの宇宙を観察して出てくるようなものではなく、そもそも神をどのような存在として規定するかというところから出てきます。すなわち、神は全てのものの創造主であるということです。
それは第一原因であるということです。

では第一原因とはどういうことでしょうか?
これは非常に哲学的な問いです。
第一原因とは言い換えると“それ以上原因を追究できない”という意味です。

突然ですが、宇宙が始まる以前は何があったのでしょうか。

何もなかったのでしょうか?

では何もなかったというなら、今現在この宇宙に存在するすべてのエネルギーや物質の原料は一体どこから出てきたのですか?

答えられませんよね。でも既に我々は存在している。自分の意識というものが間違いなく存在しているし、五感を通して外界を認識しているはずです。相当なひねくれものじゃなければそれは認めざるを得ないでしょう。

ちなみに宇宙が始まる前は時間と空間というものも存在しません。

僕は先ほど、宇宙が始まる“以前”と書きましたが、この質問は正確に言うと適切ではありません。“以前”とは通常、時間的な流れが存在していることを前提としたうえで初めて成り立つ言葉だからです。
例えば、神はいつから存在していたのですか?
この問いも成り立ちません。“いつ”という言葉も時間があって始めて成り立つ言葉であり、宇宙が始まる前は時間がないので意味をなさないからです。
神は第一原因であると定義しましたが、それゆえに神について追及するときも同様の注意をしなければなりません。

科学者であればこの宇宙がどのような力で成り立っているか理解していることでしょう。
しかしながら、なぜそのようになっているかは科学だけでは答えられないはずです。例えばなぜ、重力という力が存在しているのか、とか、なぜ人間が生まれたのか、とか、なぜ突然ビッグバンが起こって宇宙が始まったのか、などの問いです。
その問いに対して答えられるのは宗教家だけです。それは神がそのようにしたからだ、と。これは少々ずるい回答ですが、間違いであることを証明は出来ません。

しかし、宗教家でも答えられないのが第一原因に対する追究なのです。例えば、先ほどのように、
神はいつからいたのですか?とか、
神はどうして存在していたのですか?とか。そういう質問です。
神が第一原因であると定義したのだから、それに対してさらになぜ、とより原因を追究することはできない訳です。しかし、既に人間や宇宙が存在している事実を見て、第一原因の存在は必ず定義されなければなりません。だからどこも矛盾するところはないのです。

分かりますか?

神の3つ目の性質は原因者である、ということです。これは原理講論では、

神は被造世界に対しては、性相的男性各主体である

というように表現されています。ちょっと難しい表現ですが、これは第一原因である、という意味です。


じゃあ、結局神はどんな存在なの?

はい。これがこの記事の結論になりますが、これまで見てきた神の性質を束ねて神は人間ににとってどのような存在なのかを明らかにしようと思います。これはテストに出るくらい重要なので、これだけでも覚えておいてください。キリスト教とも少し違いますよ。

神の性質は何だったかというと、原理講論には

①本性相と本形状の二性性相の中和的主体
②本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体
③被造世界に対しては性相的男性各主体

となっています。これでは分かりずら過ぎるので、優しく言い換えると

①神には心と体がある
②神は陽性と陰性が一つになったものである。
③神は人間にとって原因的な存在である。

となります。
実はこれで、神の存在を日本語の漢字1文字で的確に表す文字があるのです。日本語ってすごい!

それは何だと思いますか?







答えは、、、







神は人間の「親」です。
そう、神は親なんです。これが死ぬほど重要な神観になります。
なぜ親といえるか説明します。まず一つ目の性質、神には心と体がある。神には心があるので、人格があるということになります。そして動物レベルの心ではなくて人間を創ったとすれば当然人間よりも高次元な人格があるという帰結になります。また心があるということは喜怒哀楽があるということです。人間よりもずっと喜怒哀楽に敏感で豊かな心の持ち主が神です。そしてここからは少し脚色が入りますが、人格があるということは愛があるということであり、愛する心情があるということです。わかりますか?

次に2つ目の性質、神には陽性と陰性がある、これはどういう意味でしょうか。
人間に例えてみましょう。
人間において陽性とはすなわち男性であり、陰性とは女性です。
神はその両方の性質を持っているということです。
男性と女性が一つになっているもの、それは何でしょうか?



例えば夫婦ですね。



最後は神は原因者であるということです。理想的な愛と喜怒哀楽の人格があって、男性と女性が一つになっている状態で、なおかつ人間の原因的な存在、そう、つまり夫婦であり、両親、人間の親なる神様なのです。
子供というのはその親が原因となって生まれてきますよね。親がいなければ子供はいません。同じ論理です。
これが今まで過去の宗教では分かりませんでした。キリスト教では神のことを天の父と呼びました。聖書に男は神の形であり栄光である、とあります。しかしこれは正確ではありません。神の性質に女性的な要素を含めなかったために男尊女卑という発想が生まれてしまいました。
実際には神には男性的な要素も女性的な要素も存在しています。だから男女平等とはきわめて本来的なあり方であることが分かります。

さて、この記事の読者が神の性質をしり、そこから導かれる神の存在様相を正確に理解してくれることを祈りながら、本記事の結論にしたいと思います。


本記事のまとめ
神は人間の親であり、人間は皆、神の子供である。それゆえにすべての人間には神から付与される価値があり、その優劣はない。男女の間にもその優劣はない。

今後の記事では神と人間が親子であるというのがすべての根本になってきますのでよく覚えておいてくださいね。

(*1)世界平和統一家庭連合の教理を最も端的に紹介している書物。
記事内容についての注意
記事の内容は原理講論に基づいて書かれています。しかしながら、記事の中には筆者独自の解釈が反映されているところがあり、実際の教理を完璧に表現しているということは決してありません。従って、内容に関しましては世界平和統一家庭連合に一切の責任はありません。




補足説明

実はもっと深いことがたくさん原理講論には書かれているのですが、かなりの部分は割愛しています。既に結論は書きましたので、さらに深く知りたい!という方は以下も読み進めてみてください。原理講論の一節ずつを抜き出しながら解説いたします(そんなに多くはないですが)。

陽性と陰性については次のように書かれています。

いかなるものであっても、それ自体のうちにおいてばかりでなく、他との存在の間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、はじめて存在するようになる。

はい。この一節もサラッと書いてありますが、めちゃくちゃ重要です。陽性と陰性は人間ならば男性と女性といいましたが、正確には、男性は陽性実体で女性は陰性実体です。それはどういうことかというと、男性はすべての要素が陽性ということではなく、全体の中では陽性が強く、女性は陰性が強い、ということです。そして、陽性と陰性そのものは男性の中にも女性の中にも両方存在します。図にすると以下のようになります。

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また原理講論には次のように書かれています。

従って人間においても、男性には女性性相が、女性には男性性相が各々潜在しているのである。

男性という一個体の中には陽性的な要素と陰性的な要素があり、全体としては陽性が強い。そして女性においても陽性的と陰性的な要素があり、全体としては陰性が強い。これが正確な陽陰の関係です。だから「それ自体のうちにおいてばかりでなく」とあります。
男性というとイメージするのは例えば大雑把だったり、力が強かったり、声が大きいとか、これはただの僕のイメージですが、しかし男性にも繊細さやきめ細やかさが備わっています。女性の場合も然りです。共通する要素があるからこそ男性と女性は違いがあったととしてもお互いに理解することが出来ます。

次は性相と形状についての一節です。

今日の科学によると、原子を構成している素粒子は、すべてがエネルギーから成り立っているという。それゆえ、そのエネルギーがそう粒子を形成するためには、必ずそのエネルギー自体の中にも、素粒子形成の目的を志向する性相的な部分がなければならない。

性相というのはその一個体の存在を確立する、生命体であれば自身の生命を維持する目的を志向します。人間ならば心によって、動物ならば本能によって衣食住や感情を志向するということです。人間や動物の体も細かく刻んでいけば、分子原子になり、素粒子になります。そしてこの一節では素粒子はエネルギーから成り立っているとしてもエネルギー自体の中にも、お互いに結びついて素粒子を形成する、または素粒子になろうとする性質が備わっているということを言っています。それが性相です。

では次の一節

性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係を持っているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。

この一節もものすごく重要です。あらゆる社会問題を解決する根本的な思想を表現しているからです。ここではこれまで見てきた性相と形状、陽性と陰性という二つの二性性相の関係について明らかにしています。結論からいうと、性相と形状が本質であり、一時的なものであり、陽性と陰性はその属性であり、二次的なものである、といっています。図にすると以下のようになります。

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はい。神様から直接出ている性質が性相と形状でこちらが一次的なもの、簡単に言えば土台のようなものでより重要です。そしてその現れ方を規定するのが陽性と陰性である、というのが最も正しい理解になります。なぜこれが重要なのか、あらゆる社会問題を解決できるものなのかというのは別の記事「人間が生きる目的、人生の目的って何か知ってる?」で触れられたらと思いますのでここでは割愛させていただきます。


神と被造世界との関係

先ほど神は人間にとって「親」なる存在であるといいました。では神と人間および人間以外の万物との関係はどのようになっているのでしょうか。ここではそれを明らかにしたいと思います。まず大前提として、これは理想的な人間を観察してこそ導かれる論理であるので説明は省きますが、人間と万物は違います。一言でいえば神の実の子供であるのは人間だけであり、動物や植物はもちろん尊いものですが、人間には及びません。神が子供として作ったのは人間だけです。
 これは動物を人間と同じレベルで価値視するような思想を持つ人たちにとっては受け入れがたいことかもしれませんが、人間と動物が異なるのは火を見るより明らかでしょう。進化論は事実ですが、ただサルがたまたま進化したわけではないのです。人間には非常に豊かな感情があります。動物にはそこまでのものはありません。笑うのも人間だけに許された特権です。動物が笑っていたらどう感じますか?
怖いですよね。
創造性があるのも人間だけです。どんなに賢いサル、例えば簡単な計算ができるサルとかでであっても数学の公式を作り出すサルは存在しません。この宇宙にある法則を体系化し、万物に名前を付けて主管する、それは神の子供である人間だけが出来ることなのです。だからここでは人間と万物を少し分けて考えます。
神と被造世界との関係を図示すると以下のようになります。

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一つ一つ解説したいと思います。
大きな円が3つありますね。左が神の性質、右上が人間の性質、左下が万物(人間以外のど動植物、鉱物)の性質です。人間は神の子供なので神の性質を100%受け継ぐことが出来ます。それに対して万物は神の部分的な展開であり、部分的にしか備わっておりません。それゆえに人間のことを原理講論では形象的個性真理体といい、万物を象徴的個性真理体といいます。
形象的というのは英語ではimageに相当します。そしてこの場合のimageは全体とか生き写しという意味です。個性真理体とは個性体真理体を合わせた言葉です。先に言いますが、神が創ったこの宇宙に存在するものはすべて個性真理体です。個性体とは「絶対、唯一」とという意味です。その意味が完全に発揮されるのは人間だけですが、例えば、人間は今地球上にどれくらいいるか知っていますか?
70億人です。
ではこの70億の人間の中から全く同じ人を探す出すことが出来るでしょうか?
顔が似ているだけならいるかもしれません。しかしその得意不得意、趣味趣向まで完全に同じような人間は誰一人としていないでしょう。

これってすごいことだと思いませんか。
そのような意味でお釈迦様は「天上天下唯我独尊」といいました。過去生まれては逝った人たちを合わせても全く同じ人は一人としていません。これが個性体の意味です。
では真理体はどういう意味でしょうか。
真理体とは「普遍性、不変性」を表します。空間的な意味と時間的な意味での普遍、不変です。人間はこの宇宙でどこに行っても人間です。アメリカ人でも中国人でもアフリカ人でも人間として共通部分は同じです。人種が違えば、目が一つ多かったり、腕が4本あったりということはありませんよね。
目が二つ、鼻が一つ、耳が二つ等、人間として共通部分は必ず同じでなければなりません。それを土台としての陽性と陰性によって規定される違いなのです。つまり顔の特徴が東洋人と西洋人で異なるとか、肌の色が違うとか体格が違うとか。でも土台である体の構造はどこの国の人でもお同じですよね。だからこそ同じ人間として受け入れることが出来るわけです。
もう一つの不変は時間的な意味での不変であり、時間がたっても人間は人間であるということです。いきなり犬になったりしませんよね。

でも動物は個性真理体じゃないの?と思うかもしれないですが、動物も個性真理体です。そその分かり動物の場合は万物なので種族ごとの差になります。だから犬とか猫の顔を見分けるのは簡単ではありません。

また陽性と陰性は性相と形状の属性である、ということが分かりやすいように人間の陽陰のところに例を挙げました。これは僕のイメージなので正確ではないですが、人間の心の陽的な要素は例えば何かといえば、明るいとか、聡明とか、敏感とか。ほかにもいくらでもありと思います。逆に陰性的な要素は大人しい、鈍感、大らか、等です。
また体でいう陽性は凸部、肩とか臂とか鼻とかがイメージしやすいですね。それに対して陰性的な要素は凹部です。全体的に男性の体はごつごつしていて、女性の体はなめらかですよね。そんなイメージ。そして最もその違いがはっきりしているのは性別によって異なる器官です。男性は凸で女性は凹です。
すなわち性相と形状、人間でいえば、心と体がどのように表れてくるかを規定するパラメータのようなものが陽性と陰性なのです。

人間は形象的個性真理体であり、神様の子供なので神の性質、正確に言うと神の愛とか心情を100%受け継ぐことが出来る存在として想像されているのに対して、万物は象徴的個性真理体であり、神の性質の一部分を与えられているにすぎません。



さてそれではこの記事はここまでにしたいと思います。
次は神が人間の親であるということが分かったので、じゃあ人間をはじめこの宇宙に存在するものはお互いにどういう関係を結んで生きればいいのか?ということを説明したいと思います。
じゃ。