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イエス・キリストの父親は祭司長ザカリヤであるということについて簡単にまとめておく。

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キリスト教においてはイエス・キリストは神の子であるとされていて、母であるマリヤは基本的に男性と関係をもってイエスを身ごもったのではなく、聖霊と呼ばれる超常的な存在によって身ごもったということになっている。
つまりイエス・キリストには父親はいない、というのはキリスト教会における常識なわけだ。
だが、百歩譲ってイエス・キリストそのものの存在は認めたとしても、イエス・キリストは処女懐胎によって生まれたということは現実的には無理があるのではないだろうか。
そこで今回はイエス・キリストは一体誰の子供であるのかということを聖書の内容などを参考にしながら明らかにしておきたいと思う。

ちなみに結論から言えばイエス・キリストの父親は祭司長ザカリヤであるということになる。

その根拠について順を追ってみていこう。


処女懐胎などというのはあり得ない。

まず第一に明らかにしておきたいことはキリスト教においてはイエス・キリストの母親であるマリアは処女でありながら、聖霊によって身ごもったとされている。これをキリスト教では処女懐胎という。すなわち処女でありながら、子供を妊娠したという意味である。
マタイによる福音書1章18節から次のようにある。

18)イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。 :19)夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。 :20)彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 :21)彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 :22)すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、 :23)「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 :24)ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。 :25)しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。


この部分にはっきりと”聖霊によって身重となった”と書いてありますね。イエス・キリストはユダヤ人です。ユダヤの法律は今も昔も厳しいので姦通の女性は石で打ち殺されるようなことも起こるほどでした。マリアと婚約していたヨセフはいったんは婚約を解消しようとしますが、天使のお告げを受けて、マリアを受け入れます。これはある面、マリアを擁護するような立場な訳です。そして引用の最後の部分にあるように”子(イエス)が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった”とあります。聖書において女性に対して“知る”という言葉を使うと、それは”性交をする”という意味合いになります。キリスト教徒たちは基本的に聖書の内容、特に新約聖書を重んじているのでこの章の内容もまたしかり、という訳です。すなわち、イエス・キリストはマリアが聖霊によって身ごもったので、それ以前には誰とも関係を持ってはいないと。


でもちょっと待ってくださいよ。


普通に考えたらですよ?性交しないで妊娠する?


いやいや、そんなわけあるかっ!

って話ですよね。科学的にあり得ないと。

妊娠というのはご存知のように精子と卵子が接触することによって起こります。異性と関係がなかったら絶対にあり得ないということです。信仰を持つことを否定するつもりはないですが、現実を否定することはやめましょう。つまりマリアは必ず誰かと関係を持ったということです。
はい。ということでじゃあ次に問題になるのは、マリアはヨセフと結婚する前であるにも関わらず誰と関係を持ったのか?ということになります。とはいえ、イエス誕生の場面で出てくる登場人物はそれほど多くはありませんので新約聖書の最初の4つの福音書をサラッと読めば簡単に予想はできますが。
ちなみに4つの福音書はそれぞれマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書です。これはそれぞれ、その名前の人物がイエスの生い立ちから生涯を各々の視点で書き記したもので時系列的には同じです。でも見る人物が変われば当然、表現や出来事の記載も若干異なってくるわけです。だから大切なのは、福音書に書いてあることを鵜呑みにすることではなくて、それぞれを比較対象しながら、当時の時代的背景や一般常識、イエスの弟子たちの主観などを総合的に判断しながら、当時の映像を正確に把握することではないかと思います。



ではイエスの父親は誰か?

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答えに行きましょう。
これが分かるのはルカによる福音書だけです。おそらくはこの人が一番熱心にイエス誕生の状況を知る人から話を聞いたりなんやかんやしてこの部分をまとめたのではないかと考えられます。1章26節からを見ると次のようにあります。

:26)六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。 :27)この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 :28)御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。 :29)この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。 :30)すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 :31)見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。 :32)彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 :33)彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 :34)そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。 :35)御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 :36)あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。 :37)神には、なんでもできないことはありません」。 :38)そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 :39)そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 :40)ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。


マリアはこのように天使であるガブリエルからお告げを受けています。”身ごもって男の子を生むでしょう”と。おいおい、天使とかマジで言ってんのかよ、、、と思うかもしれないですが、熱心なユダヤ教徒であれば、よく神に対してよく祈祷を、すなわちお祈りをしたはずです。その中でこのような言葉を聞いた錯覚に陥っていたのかもしれません。また、いつも祈っているからこそ、その意識が反映されて夢の中でガブリエルとなって出てきたのかもしれませんよ。マリアがここまではっきりと天使からお告げを受けたかどうかは本人しかわからないです。これはルカが書いているので、多少の脚色も間違いなくあるということを知っておきましょう。まぁマリアは何かしらのインスピレーションを受けたのでしょう。そのくらいなら普段の生活でもあり得ます。ただ熱心だったがゆえにそのインスピレーションを天使と関連付けたということも考えられます。でも処女懐胎は別ですよ。妊娠という事実は必ず性関係が必要なので話の次元が違うとということも理解してください。
はい。ここで重要なのはインスピレーションを受けたマリアは最後にエリザベツの元に訪れて挨拶しています。エリザベツは詳しくはわからないですが、マリアの親族であり、近しい間柄の人物な訳です。
さて、この後マリアはどうしたのでしょう?
これ以上引っ張れないので結論になります。

:41)エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 :42)声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 :43)主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 :44)ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。 :45)主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 :46)するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、 :47)わたしの霊は救主なる神をたたえます。 :48)この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、 :49)力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、 :50)そのあわれみは、代々限りなく/主をかしこみ恐れる者に及びます。 :51)主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、 :52)権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、 :53)飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。 :54)主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、 :55)わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを/とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。 :56)マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。


最後のところに注目してください。”マリアはエリザベツのところに三カ月ほど滞在してから家に帰った”とありますね。は?ってなりませんか。お前は三カ月も親戚の家にいたのか、って。元々エリザベツは不妊の女だったのですが、この6か月ほど前に妊娠しています。でもまだ生まれていません。お腹の中です。つまり今エリザベツと一緒に住んでいるのは、ここには登場していないですが、エリザベツの夫で祭司長であるザカリヤとという人物だけなのです。考えてみてください。家の中にはザカリヤとエリザベツとマリアの三人だけ、しかもエリザベツは妊娠中。
つまり何が言いたいかというとこの時にマリアは祭司長であるザカリヤと関係を持ったとしか考えられない訳です。はい。結論。
イエスの父親はエリザベツの夫で祭司長のザカリヤです。
しかし、本当にそんなことが出来たのでしょうか。エリザベツが家にいるのでは?と思う方も見えるでしょう。しかしここはもう少し状況を正確に把握しなければなりません。今の聖書の部分でマリアがエリザベツにあいさつすると”その子が胎内でおどった”とあります。そして”エリサベツは聖霊に満たされ、 :42)声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 :43)主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 :44)ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。 :”とあります。これつまりどういうことかというとマリアが来たら、なんかお腹の中の子供が凄い喜んでいる気がしたのでこれはすごいことだわ!とエリザベツが舞い上がっている訳ですよ。エリザベツは身ごもったことがよほどうれしかったのかもしれません。かなりテンションが高いです。マリアのことを”主の母上”といっていますからね。この主っていうのはイエスのことを指しています。もちろんこれは執筆者ルカの脚色も入っていますが、エリザベツもこの時にすごいインスピレーションを受けたってことなんですよね。つまりエリザベツの思考回路はこんな感じ。”マリアが来たらお腹の中の子供がなんかすっごい喜んでいるからこれは何かの神の祝福かしら、お導きかしら”みたいな。ちょうどそこでマリアはエリザベツに言うわけですね。実はということで。”「わたしの魂は主をあがめ、 :47)わたしの霊は救主なる神をたたえます。 :48)この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。(以下長いので省略)” 実に甘美な表現で聖書には書かれていますが、この部分を訳すとおそらく次のような内容をマリアはエリザベツに告げたはず。”実は天使からお告げを受けたんだけど、神の子であるイエスを生みなさいって。私もう、どうしたらいいか分からなくて。ねぇエリザベツどうしたらいい?ていうか、まだヨセフと結婚もしてないのに子供なんてできるわけないでしょう?”
みたいなね(笑)。
するとエリザベツがひらめいたわけです。”結婚してないのにヨセフと子作りは出来ないわよね。だったら、、、うちの旦那とどう?”
みたいなね(笑)。

すごい軽い感じで表現してすみませんが、おそらくこんなやり取りがあったと考えられます。現代の日本人の感覚ではこいつら頭おかしいのかと思うかもしれないですが、二人には信仰がありました。だからマリアの天使からのお告げの告白もエリザベツは無下に扱うことはなかったでしょう。なぜならエリザベツは信仰があるし、直前にお腹の中の子供が喜んでいますからね。このマリアには何かある!と感じていたとしたら?

つまり、マリアが祭司長ザカリヤと関係を持つように引っ張ったのはエリザベツ本人である可能性が高いです。じゃないと家の中でさすがにできないでしょ(笑)。

そして三カ月、マリアはザカリヤと子作りに励んだわけですね。
はい。これがイエス・誕生の真相です。熱心なキリスト教徒からはこういうこと言うと反発があるかもしれないですが、冷静に聖書の内容を顧みるとこれしかありません。

ちなみに余談ですが、イスラム教の寺院(?)、すみません、イスラム教にはそこまで詳しくないですが、にはイエスの家系図があってその父親にはザカリヤが割り当てられていたりするらしい。これは聞いた話なので僕が実際に目で見たわけではないですが。イスラム教徒にとってはイエス・キリストは一預言者でほかの預言者と同格なので、キリスト教徒よりも冷静に聖書を見ることが出来たのかもしれないですね。彼らにとっては新約聖書よりもコーランのほうが大事だし。

はい。それでは今回はイエス・キリストの父親は誰なのか?という件についてでした。
それでは。