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『為に生きる』。あなたが発展するためにこれだけは実践して欲しい生き方があるよ。

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こんにちは。

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前回に引き続き真理紹介です。
前回は以下のような記事を書きました。

my-road.hatenablog.com

今日は、どのような生き方をすれば発展していけるのか、それはつまり勢いが増していく、頭角を現していく、どんな言い方でもいいですが、あなたがより高次元の関係性、人格、価値観、生活を営んでいくために必要なたった一つのことについて説明したいと思います。ある程度倫理観がある人であれば当然のことなのですが、実践するのは本当に難しいことなのです。なぜそのような原則になっているのか、ということを前回に続き、理論的に説明し、その基準を明確にしたいと思います。
それでは。



先ほど挙げました前回の記事では神は人間の父母、親である、という内容を理論的に明らかにしました。神が親であるということが分かったなら、次に何が重要かというと、それを人間の理想的な親子に当てはめて、神が人間に願った生き方、在り方を実践していくということなのです。

まず神が人類共通の親であるということで何が変わるでしょうか。どのような意識を私たちは持てるでしょうか。

答えは、人類は皆、神という唯一の存在を共通の親に持つ兄弟姉妹である、ということです。世の中には未だ多くの葛藤や溝があります。アメリカとイスラム圏の仲の悪さや韓半島の対立、肌の色による対立、異なる宗教による対立etc...。
これらは少しずつ良くなっているとはいえ、未だに完全にはなくなっていません。

なぜでしょうか。
答えは単純です。人間は未だに神が自分たちの唯一の親である、ということについて頭と心で理解できていないのです。

考えてみてください。

神がすべての人類の親ならば、人類は皆、共通の親を持つ兄弟姉妹なのです。もちろん仲の悪い兄弟姉妹も世の中には存在しますが、兄弟姉妹というのは本来、本当に仲が良くて、強い絆で結ばれている関係性です。

私たちは別にガンジーやマザーテレサのような聖人ではないので、自分と何の関係もない人間のことまで思いやる余裕は本来ありません。
海の向こうで誰かが飢餓や貧困や紛争に苦しんでいたとしても、その事実を自分のものとして考える日本人はほとんどいないでしょう。

神を人類共通の親として迎えなければ、他人でしかないからです。

しかし、もし神を人類すべての親として迎えるようになれば、海の向こうの人たちは自分の兄であり、姉であり、弟であり、妹になります。

他人ではなく、自分の家族になるわけです。

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上図にありますように、神が共通の親であるがゆえに、人種や国家、言語、思想や宗教、利害の垣根を超えることが出来るようになるのです。そのためにはまず、なぜ神が人間の親であると言えるのかを極めて『理論的に』理解する必要があります。それが前回の記事で説明した内容でした。

では、人間の親について考えてみましょう。
その親には子供たちが複数人いるとしましょう。
親の立場から見て、その子供たちにどのように生きることを願うでしょうか。どんな関係をお互いに築くことを願うでしょうか。

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親が自分の子供たちに願うことの一つとして、お互いに助け合って、支えあって生きるということです。自分の子供である兄弟姉妹達がお互いに『為に生きる』生活をするようになる時に親はとてもうれしいと感じるのです。

分かりますか。

『為に生きる』という原理原則はそこから出てきます。

また親が子供たちが自分が与えたものを大切にしているときにうれしいのです。だから人間が人間以外の万物、それは動物だったり、植物だったり、または様々な自然環境だったりを正しくコントロールするときに子供たちにこの万物を与えて良かったと思うわけです。

人間は神に万物を主管する権利が与えられている原理はそこから出てきます。

『為に生きる』という生き方が普遍的な原理であるもう一つの理由は神自身が子供であるに人間に対してその原理原則を実践しておられるからです。
どういうことかというと『為に生きる』という原理は親が子供を愛するというときに最も分かりやすく発揮されます。例えば、親が子供を養い育てるときに子供が大きくなって働き始めてたくさんのお金を稼ぐようになったとしましょう。その時にその親が子供に対して、『じゃあ、今まであなたを育てるのにかかった費用を返してください』というでしょうか。

通常は言わないと思います。理想的な親ならば、自分の子供に与えたことを覚えてはいないのです。
神が人間に対して親として真の愛で接するが故に兄弟姉妹である私たちも真の愛で『為に生きる』ことが本来的な在り方であるということです。

以上をまとめると『為に生きる』という原理が出てくる理由は次の二つになります。

①神が親ならば、親の立場で自分の子供である兄弟姉妹たちが支えあって生きるのが願いだから。
②神が親ならば、親というものは通常、子供に対して無償の愛で接するものだから。

という感じになります。

それでは『為に生きる』ということについて原理講論(*1)ではどのような言葉を使うのかを見て行きましょう。

この宇宙における発展の法則である『授受作用』

『為に生きる』ということを原理講論においては『授受作用』という言葉で表現しています。
そこには次のように書かれています。

あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、よく授け、よく受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。
(故に万有原力と授受作用の力とは、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという、相対的な関係を持っている。従って、万有原力は縦的な力であり、授受作用の力は横的な力であるとも言えるのである。)
*()の中は補足。

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授受作用

授受作用とは一言でいえば、お互いに授け受けしながら、より良い関係性を築いていくということです。
主体と対象というのは授受作用する際の二つの存在のことです。例えば二人の人間が会話をするなら、先に話し始めるほうが主体で話を聞くほうが対象です。動きを始める、先に与えるのが主体というイメージです。万有原力は説明を省いていますが、一言でいえば、神本来の力です。相対基準というのは一言でいえば、『共通項』や『共通目的』という意味です。授受作用をするときにはまず最初の段階としてこの相対基準をお互いに作らなければなりません。相対基準を巧く作れば作るほど、その後の授け受けの段階がよりスムーズに進むのです。例えば、初対面の二人の人間が会話をするにおいても、何の話題もないよりも、『出身地が同じ』であるとか『共通の趣味を持っている』等の相対基準があれば話も盛り上がるのではないかと思います。共通項があるということですね。
 逆にそういうものが全くなければ、上手く仲良くなることも難しいですよね。また二人の人が会話する際でもその目的は様々です。『活発に議論すること』だったり、『情報交換をすること』だったり、『ただ単純に楽しく話す』という場合もあるでしょう。一人の人は純粋に会話を楽しみたいと思いながら、もう一方が何か議論をして相手を言い負かすことが目的ならば、その会話はぎこちないものとなってしまうでしょう。

相対基準を造成するというのはそういうことです。
また『授受作用』の言葉は『授ける』が先に来ています。基本的な原則として自分から相手に何かをしてあげる、ということです。それは受け身のような姿勢ではなく、常に与える人になれ、ということです。
そして授受作用によって、『その存在のためのすべての力、すなわち生存、繁殖、作用などの力を発生するのである』とあるように、この宇宙においてはすべての力は授受作用を通して出てきます。授受作用なく力が発生することはありません。
どのような力かというと『生存』、これはその個体が生命などを存続するための力です。人間は皆一人で生きているわけではありません。もし他者と全くかかわりを持たない人がいるならば、その人は自分の存在を維持することはできないでしょう。最初はそれでも良かったとしても、いずれ必ず強烈な寂しさを感じるようになるでしょう。現代では非常に娯楽も発達しているので、パソコンやスマホのネット空間やゲームなどでのみ授受作用をし、人との交流がない人も世の中にはいるかと思いますが、もしそういったものもなく、人との関りも全くない人がいるとすれば、必ず自殺するようになるでしょう。
『繁殖の力』、これも同じく授受作用によってのみ発揮されるようになります。例えば、子供を作るときがその最たる例です。人間であれば男性と女性が、動物であれば雄と雌が、植物であればオシベとメシベが授受作用をすることで赤ちゃんや種子を創っていくことが出来るのです。
『作用の力』も同様です。生命体ではない場合など、例えば陽イオンと陰イオンが授受作用をしながら分子というより高次元の物質を形成しますし、原子と電子が電気的な授受作用をすることによって原子を構成します。この宇宙に存在する4つの力もその力を媒介する素粒子が存在し、それらを交換し合う中で生じると現代の物理学は考えています。例えば、グラビトンやフォトン等です。そのように考えればすべての力は授受作用で生じるといったい意味が分かりやすいかと思います。

もう一つ自然界に存在する『為に生きる』例としてミツバチと花の授受作用を紹介しましょう。

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ミツバチと花の授受作用

授受作用の原則は相手の『為に生きる』ということです。そのことが分かれば相手のために存在している神羅万象が理解できるようになります。ミツバチと花の授受作用とは、まずミツバチは花から蜜を集めます。そのために花にとどまっている間に花はミツバチの足などに花粉を付けます。その状態でミツバチがほかの花に移動することによって受粉の確率を上げているのです。
 人によってはこのような事象を自然界はお互いに利用しあっているんだ!という人もいるでしょう。なんと心が貧しい発想でしょうか。
私が言いたいのはそういうことではありません。ミツバチは花のことなど考えてはいないでしょう。花もミツバチにわざわざ蜜を提供したいとは思っていないと思います。
しかし、神がこの宇宙に敷いたルール、原理はお互いに『為に生きる』関係をもって存続し、発展するということです。自然界はありのままの姿で『為に生きる』ということが実践されるようにインプットされているのです。
人間の場合は神の子供なので自由意志でそれを行ってほしい神の願いがあるということです。それについてはまた別のところで詳しく説明します。すなわち『神がいるならばなぜ、世の中の悪や罪や悲惨な出来事はなくならないのか』ということに対する説明と一緒にです。

先ほどのミツバチと花の授受作用のような例を自然界にはいくらでも発見することが出来ます。
授受作用の原則は『為に生きる』ということです。

では『為に生きる』とはどういう意味でしょうか?

私たちの言葉では『為に生きる』とは『真の愛』で愛する、ということを意味します。
真の愛で愛するというのはどういうことかというと、『喜んで与える』『絶えず与える』『与えて忘れる』、実践的にはこのレベルです。

これがどんなに難しいか、考えたことがありますか。

私たちは通常、人に何かをしてあげたときにその事実を記憶しています。記憶していて、『何であの時このようにしてあげたのに、あなたは何も私に返そうとしないのか』、と言うのです。これは真の愛ではありませんし、『為に生きる』ということではありません。
『為に生きる』とは見返りを求めてはいけないのです。与えることに徹さなければならないのです。今は亡き、世界平和統一家庭連合の教祖であった文鮮明先生は次のように言っています。

真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子供が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的愛です。(平和神経 神様の理想家庭と平和理想世界王国)

とても分かりやすいですね。

その他の自然界で『為に生きる』例を挙げると次のようなものがあります。

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授受作用の例

陽子と電子が授受作用をすることで原子というより高次元の物質と化し、原子同士またはイオンが授受作用をすることでより高次元の分子になります。
授受作用を成すことによって、一定の形が保たれ、授受作用を成すことによって人も国家も成長し、発展するのです。その際に最も重要なのは見返りを求めず純粋に相手の『為に生きる』ということです。自分の保身や安泰のために相手を利用するのではなくて、純粋に相手の為に自分を捧げていくことです。私たちは人のために何かをやっているように、その行いをしている自分に酔っていたり、自己主張の一種として上達したり、してあげたことを記憶している場合がなんと多いことでしょう。



イエスの言葉にも見受けられる愛の本質

新約聖書に書かれているイエスキリストの言葉を少し紹介します。

『人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなた方が裁くその裁きで自分も裁かれるでであろう。(マタイによる福音書7/1-2)』

家族に対してまたは一緒に働く同僚に対して不満の想いがわいてくることがあるかと思います。心の中でその相手を『どうしてあなたはこうなんだ』と裁いてしまうことがよくあります。しかし同時に自分にも他の人から見れば至らぬ点があることが分かるでしょう。

『何事でも人々からしてほしいと望むことは人々にもその通りにせよ。(マタイによる福音書7/12)』

このみ言は単純に考えれば、自分がしてほしいと思うことを他の人にもしてやりなさい、と解釈できます。しかしながら、自分がしてほしいと思うことを常に周りの人も同様にそう願っているかはわかりません。ある本当に理想的な親子関係を築いている人が次のようにい言っています。

『それぞれの子供に違うように接してこそ、平等に接することになる』

とても深い言葉であるのが分かるでしょう。
複数人の子供がいれば、個人個人の好きなことや得意なことは異なるのです。『何事でも人々からしてほしいこと』の一つとしておそらくほぼすべてに人が思っているのは何かというと、『自分のことを理解してほしい』ということです。個人個人の性格、特徴、得意不得意、好きなものなどを理解したうえで接することが相手を真の愛で愛するということにつながるのです。

『だから人の前でわたしを受け入れるものを私もまた天にいます私の父の前で受け入れるだろう。(マタイによる福音書10/32)』
『預言者の名の故に預言者を受け入れるものは、預言者の報いを受け、義人の名の故に義人を受け入れるものは義人の報いを受けるであろう。(マタイによる福音書10/41)』
『私の弟子であるという名の故に、この小さいものに冷たい水の一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いから漏れることはない。(マタイによる福音書10/42)』



(*1)世界平和統一家庭連合の教理を最も端的に紹介している書物。
記事内容についての注意
記事の内容は原理講論に基づいて書かれています。しかしながら、記事の中には筆者独自の解釈が反映されているところがあり、実際の教理を完璧に表現しているということは決してありません。従って、内容に関しましては世界平和統一家庭連合に一切の責任はありません。




原理講論からの抜粋とその解説(補足説明)

以下は原理講論に書かれている内容とその解説であり、授受作用の補足説明です。結論は既に書きましたが、もっと難しい言葉でより深い内容がたくさん書かれておりますのでその一部を紹介しようと思います。

万有原力とは何か。

万有原力については次のように書かれています。

神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。従って、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力のこ根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を我々は万有原力と呼ぶ。

万有原力とは一言でいえば神が存在するための力です。神であっても存在するためには必ず何かしらの力を要するのです。これはただの例ですが、机の上に箱が載っているとしましょう。その箱には力が働いているはずです。すなわち、箱の中心から真下に向かって重力が、机との接点から真上に向かって垂直抗力が、そしてその二つが釣り合っているからこそ、は箱は机の上に存在できるのです。もしそれらの力がなかったらどうなりますか。誰かが触れた途端どこかへ飛んでいってしまうでしょう。これはイメージにすぎないですが、このように存在するためには必ず力が必要なのです。そこで神が存在している、その力を定義しようということで、万有原力と呼んでいます。


『授受作用』が円滑になされると最終的に形成するようになる理想の形『四位基台』

四位基台とは何かというと宇宙の根本的な形です。
神がこの宇宙を作り、完成しようとしたのがこの四位基台です。そして神を中心として授受作用を行うことで、目に見えるわけではないですが、四位基台を形成するようになります。
図示すると次のようになります。

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四位基台

四位基台について原理講論には次のように書かれています。

正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。  四位基台は四数の根本であり、またそれは、三対象目的を完成した結果であるので、三数の根本でもある。四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。ゆえに、十二数の根本ともなるのである。また、四位基台は創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。従って、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。

難しい言葉がまたたくさん出てますね。一つ一つ説明します。
正分合作用とは、授受作用の時間的な流れを表現しています。神が人間を創造したのであれば、一番上の神が出発点で『過去』の位置になります。主体と対象が授受作用をする位置が『現在』で、その結果として生み出されるもの、または状態を『合性体』といい、時間的に最後なので『未来』の位置です。『三対象目的』というのは、どこかの位置を中心として見たときに残りが3つある、ということです。
四位基台は宇宙の根本的な形といいました。それゆえに宇宙にはその名残りとなっている事象が存在します。四数といえば何でしょうか。例えば、季節は4つありますよね。また東西南北も4つです。三数で現れてくるものといえば、物質の三態(個体、液体、気体)だったり、色の三原色、光の三原色、地球は動物界、植物界、鉱物界で成り立っています。4×3で12数となり、12といえば、一年は12か月ですし、一日も半日で12時間となっています。他にも探せばもっとあると思います。これらはたまたまそうなっているのではなくて、そのようになりやすい原因があったのです。それが四位基台だということです。
そして一番大事なのは四位基台は神の創造目的である、という一節です。これについては次の記事で詳しく説明します。簡単にいうと神が子供としての人間やこの宇宙を作ったのは四位基台を作りたかったからであり、それは人間にとっての人生の目的となります。私たちの生きる意味です。勿論、個人個人の夢は持つことは全く構いませんが、神が人間に与えた人生の目的が実は存在しているのです。それはすべての人に共通です。


四位基台の存在様相

四位基台についてもう少し詳しく解説している部分になります。個人的にはこの節で最も好きな箇所ですが、特に印象的なところだけ紹介し、簡単に解説します。 まずは次の一節。

場合によっては、同一の平面上の軌道でのみ起こることもあるが、一般的には、その主体を中心として、絶え間なくその円形運動の軌道の角度を異にしながら回転するので、この運動はやがて球形運動を起こすようになるのである。したがって、四位基台を完成した存在は、みな円形、または球形運動をするようになるので、その存在様相は立体とならざるを得ない。

これだけだと意味不明かもしれませんが、授受作用というのは常に回転しています。二人の人間がただ会話をするにおいても片方が常に一方的に話し続けるなんてありませんよね。ある程度与えたら自由に主体対象の位置を交代してもいいのです。するとその主体と対象は常に回転しているような状態になるのがイメージできるでしょうか。ちなみにこのようにして形成されているのが原子であり、マクロな視点で見れば、太陽系や銀河系です。すべて円形運動ですよね。でもここで言っているのはそれだけではありません。その円形運動が同一平面、つまり2次元上でのみ起こるのではなく、その角度を変えながら回転するならば、円にとどまらず、球形運動をするようになるといっているのです。だからこそ原子は立体で三次元として存在できるし、私たちの体も三次元として存在できるのです。
このイメージがすごく大切。
原理講論にはその後、次のような一節も出てきます。

創造目的を完成した人間は、神を中心として、常に球形運動の生活をする立体的な存在であるので、結局、無形世界までも主管するようになるのである。

これは人間の心と体のことを言っています。人間の心と体も常にお互いに影響しあっていますよね。心が嬉しければ、笑顔になり、逆に体調がすぐれなかったり、病気になったりすれば、心が暗くなるでしょう。しかし、次の記事で説明する創造目的を人間が完成すれば、人間の心と体も自由に授受作用からの回転運動をし、球形運動に変わるということです。すると『無形世界までも主管するようになる』とあるように霊界に通じるようになります。すなわち、ある面、霊能力者のように霊界に通じるようになるといっているのです!

次は前回記事で説明した個性真理体についてです。

被造世界は無数の個性真理体によって構成されているが、その低級なものから高級なものに至るまで、段階的に秩序整然として連結されている。その中で人間は最高級の個性真理体として存在している。数多くの象徴的個性真理体の中心は低級なものからより高級なものへと、だんだん上位に連結され、その最終的な中心は形象的個性真理体である人間となるのである。

この宇宙に存在するものはすべて個性真理体といいました。人間は神の形象的個性真理体でであり、人間以外の万物は神の象徴的個性真理体でした。そして低級な個性真理体は自分より一つ上位の個性真理体の構成のために存在しているのです。以下に図示します。

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エネルギーは素粒子の構成のために、素粒子は原子の構成のために、原子は分子の構成のたために、分子は物質の構成のために、すべての物質は宇宙森羅万象の個体を構成するために存在している。 それゆえにすべての物質の目的は宇宙形成にある。それでは宇宙は何のためにあるのであり、その中心は何であるのだろうか。それはまさしく人間である。 もしも被造世界に人間が存在しないならば、その被造世界はまるで見物者のいない博物館のようなものとなってしまう。つまり、博物館のすべての陳列品は、それらを鑑賞し、愛し、喜んでくれる人間がいて初めて、歴史的な遺物として存在しうるところの因縁的な関係が、それらの間で結ばれ、各々その存在の価値を表すことが出来るのである。

この記述によるとすべての物質は宇宙を構成するために存在しています。そしてこの宇宙はまさに人間のために存在しているのです。親は通常、自分の子供に最高のものを与えたい!と思うのではないでしょうか。だから神も同じです。子供である人間に最高のものを与えようとしたときに数十億年以上をかけてこの宇宙を作ったのです。

『見物者のいない博物館』という表現がとても気に入っています。この地球上には実に多種多様な動植物がいますよね。もし地球上の生命体の種類が今よりもずっと少なくて、数えるほどしかいなかったら、何の面白みもない世界となってしまいます。しかし、そうではなくて、未だに未知の生命がいるからこそ、それらを研究しようとする人もいるし、命名しようとする人もいるし、分類しようとする人もいます。人間が数ある動植物に名前を付けるのはそれらと授受作用を成し主管することでその万物が神に創造された本来の目的に適っているということです。

次の一節、

物質から形成された人間の生理的機能が、心の知情意に完全に共鳴するのは、物質もやはり、知情意に共鳴できる要素を持っているという事実を立証するものに他ならない。

『心の知情意』というのは心の三機能のことです。ある面では人間は人によって知的なタイプ、情的なタイプ、意的なタイプの3つに分けられます。知的なタイプは学者のようなタイプで物事を理論理屈で判断しようとします。対して情的なタイプは理に適っているというよりも自身の感情が大きく影響してきます。意的なタイプは知とも情ともなく行動に移すことが多いのです。この部分で驚くべきことは人間の心に物質が反応する要素を持っていると言っていることです。そのようなことを感じたことがありますか。皆さんは自分の物をどのように使っていますか。人によってはぶっきらぼうに物を扱う人もいれば、とても大事に使う人もいます。当然といえば当然ですが、大事に使う人の服などは壊れにくいと言います。また電子機器などの調子が悪くなった時に、本当に大切なものを扱うように使ったら、調子が良くなったという経験はありませんか。私はあります。おそらくその時、その機器を貴く思う自分の心に反応してくれたのではないか、と思っています。



それでは今回はここまでにしたいと思います。
次は『何のために生きるか?【人生の目的】を知っていますか。神の創造目的が普遍的な人生の目的になるよ。』という内容についてです。