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神がいるならなぜ、世の中は悲惨なのか?なぜ神はこの世を一瞬にして救わないのか?という疑問に完璧に答えてみることにするよ。

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こんにちは。
僕は原理を知る前、ずっと不思議だったことがあります。おそらく誰でも一度は考えてみたことがあるのでしょう。

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それは何かというと、『もし、神が存在するとしたら、なぜ世の中はこんなに悲惨なのか?』『神が全知全能の方であるならば、なぜ今すぐにすべての人を幸福にしないのか?』という疑問です。

世の中は悲惨なことが多いですね。
人種や宗教、利権、領土、プライドなどをめぐって起こる紛争や戦争は今でも完全にはなくなっていませんし、貧困や飢餓、疾病に苦しめられる人々がいる一方で信じられない程にお金を持っている大富豪やセレブ達、"同じ人間なのに、どうしてこんなに違うのだろうか"とか、"自分は日本に生まれただけで充分恵まれたほうなのではないか、だから今の境遇に満足したり感謝すべきなんだろうな"、とか思っていました。
また社会の中にはあらゆる犯罪や罪、家族間でも悲惨な事件、人身売買、本当にそんなことがあるのかと目と耳を疑わずにはいられない出来事に世の中は溢れています。

『沈黙の神』といわれるように『なぜ神はこのような世の中を今すぐにその全能性をもって救わないのか』と心から疑問に思ったことがあります。

僕が自分で考えて出した結論は、もし自分が神だったら、今すぐにこの世から悲惨な出来事や悲しい出来事をなくすだろう、だから神がそうしないということは、やっぱり神なんてものは妄想であり、いないんだろうな。もしくはいたとしても人間が喜んだり、悲しんだりしているのを鑑賞して楽しんでいる性根の腐った奴なんだろう、ということでした。

しかしながら、実は神がいるのにも関わらず、今の世の中が悲惨であるのには明確な理由があったのです。
そしてそれは極めて納得のいくものでしたし、自分が神のことを全く理解していなかったということを知りました。それは神と人間がどのような関係なのか、神がどれほど人間を愛しているのか、ということです。

そこで今回はこの疑問になるべくわかりやすく回答しようと思います。
少しでも多くの人が神のことを正しく理解してくれるように願って。

それでは。



いきなりですが、答えを提示します。


神が人間に手を出さないのは、自分の子供である人間に一人前に成長してほしいから。

はい。
これが答えです。これしか理由はないのです。ただそこに至るまではしっかり説明しようと思います。

まず以前の記事で神は人間の親であるということを理論的に明らかにしました。もし理解していなければ以下の記事を見てください。

my-road.hatenablog.com

神と人間は親子の関係、これがすべての出発点です。この概念なくして説明するのは不可能です。今までの宗教で考えられてきた超越者的な神の認識では理解できません。残念ながら。

神は本来人間と極めて近しい存在なのです。人間の親なのです。
通常この社会のおいても最も心置きなく、深い関係は親子の関係ではないですか。
神と人間も同じようにとらえてください。そうすればすべての疑問が見えてきます。

さて、『神がなぜこの世の中を一瞬で救わないのか。』というと神は人間の親であるので、人間自身にそれが出来るように必要な能力や環境は与え、後は人間自身の努力ですべての問題が解決出来るようになっているから、ということになるでしょう。

考えてみてください。

戦争や軍事費用に費やされるお金があれば世界中のどれだけの人の飢えや衣食住を整えられるでしょうか。どれだけ多くの病気の人を救えるでしょうか。
また十分な教育を受けられない人に学校やネット環境を通して、教育の場を提供できるでしょうか。

はっきり言っていくらでもできます。
無駄なことにお金を使っているがゆえにそれが出来ないで停滞しているのです。それを神に期待してどうするのですか?

ではもう少し具体的に説明していきます。


親が子供のために何から何までやってしまったら、、、?

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神は人間を親として愛しています。さてそれでは人間の親子で考えてみましょう。
親は子供を愛しますよね。
普通はそうします。勿論、子供が赤ちゃんのうちは母親は特につきっきりでその赤ん坊の面倒を見るでしょう。
その赤ん坊が少しずつ成長していくにつれて、その子自身で出来ることはどんどん増えていきます。

ではもしその成長の過程で親が子供のために何から何まですべてやってあげたら、その子はどうなるでしょうか。
将来大人になってどのような人になるのでしょうか。

もうわかりますよね。その場合はおそらく自分一人では何もできない大人になってしまうでしょう。

親はそれを望むでしょうか。またいくら自分の子供が可愛いからといって、すべてをやってあげるということがあるでしょうか。

そんなことはあり得ません。なぜなら親はその子の将来までを見据えて子育てをするからです。その子の将来が本当に素晴らしいものになるように願うのが親の願いなのです。

もし学校の宿題まで親がやってしまったら、その子供は考える力を身につけることや苦労することや努力すること、出来ないことを出来るようにすること、挑戦すること、失敗すること、反省すること、何もなく成長してしまうことになります。否、それは成長ではなくてただ体が大きくなるだけです。

親は通常子供の将来までも見据えて長いスパンで愛そうとするのです。

もし人間のためにすべてやってしまったら、人間は今よりもより高次の存在に成長することは決してできなくなってしまうのです。


親の子供に対する願いとは、、、?

子供が将来どのような人間に成長したら親はうれしいのでしょうか。

一言でいえば立派な人間に成長してほしいと思っているはずです。
そしてそれは出来ることならば自分たち以上に立派な人になってほしいと願っているはずです。

例えば自分の子供が有名な人になったり、大統領になったりすれば、親は鼻が高いのではないでしょうか。

子供が自分以上にお金持ちになったり、有名になったり、博識になったりしたとしてもそれを嫉んだりすることは通常ないですよね。
すなわち自分のことのようにうれしいのです。そして誇らしいのです。
それが神が人間に対して抱いている感情なのです。

それはすなわち、出来ることならばこの宇宙を創造した神以上の存在になってほしい!と願っている訳です。

例えば親が大統領で元々とても立派な人間だったとします。そうだとしてもその子供が大人になればその親以上の存在になる可能性を秘めていますよね。

それが『親子の関係』という真の意味です。子供には必ず親を超える可能性があるのです。

もし、どんなに頑張っても子供が親を超える可能性がないのであれば、それは『親子の関係』ではなくて何か別の関係です。

神がどうしても壊したくなかったもの、大前提として持ち続けたかったものは『人間との親子の関係』なのです。それが最も近しい関係だからです。最高の喜びを共有することのできる関係だからです。

わかりますか?

その可能性はどうやって与えることが出来るか?

ではどうすれば、人間が神以上の存在になる可能性を神は人間に付与することが出来るのでしょうか。

それが問題です。

原理講論では神はそのために人間にだけ、人間にだけです、人間以外の万物にはありませんが、人間にだけ『責任分担』なるものを与えたと書いてあります。

『責任分担』とは人間が自らの意志と努力で自分自身を成長させ、そして完成させることです。『自由意志』に近いものですね。
そしてその『責任分担』に関しては神自身も絶対に干渉できないようにしました。

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これが宇宙の原理です。
神は人間との『親子の関係』を守るために、神の全能性を以てしても人間に干渉できない、人間自身の『責任分担』というものを設けられたということです。
つまり前回の記事で紹介した三大祝福を成就していくのも人間が自ら努力して成し遂げなければいけないという訳です。

もし、神が一方的に人間と人間世界を作り上げてしまったら、人間は所詮、神によって創られたというレベルの存在で終わってしまいます。
それでは人間に神を超え得る可能性を付与することは出来なくなってしまいます。
それでは『親子の関係』を守ることは出来ないということです。

神は人間を非常によく出来たロボットにしたかったのではないのです。
それは神の子供としての完成をさせるための神の配慮であり、より恒久的な長いスパンで見た神の、親としての人間に対する愛であるということです。


責任分担を付与することで人間に与えたかったのは『創造性』と『主管性』

神が人間に『責任分担』を与えることで人間に何を与えることが出来るのかというと具体的には『創造性』と『主管性』というものが挙げられます。

『創造性』とは何か?

『創造性』とは何でしょうか?

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基本的にはその名の通り『物を創る力』です。

人間は本当によくいろんなものを創ると思いませんか。

家を建てたり、新しい道具を創ったり、飛行機や船、インターネット、これまでの人間の歴史で様々なものを創り生活を豊かにしてきました。その事実だけを見ても人間と他の動物が明らかに一線を画す存在であるということが分かるでしょう。

神と同じレベルの『創造性』を発揮することが出来る動物はこの宇宙で人間だけです。

創造性と聞いて人間以外の動物にも創造性があるんじゃないか?と思った人はいませんか。

例えば、蜘蛛は糸をはいて蜘蛛の巣を創るし、鳥や蜂だって枝を集めたりして芸術的な巣を創るじゃないか、と。

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しかし、それは元々神からインプットされたレベルの創造性でしかありません。

つまりそこには『学習能力』や『発展性』といったものはないのです。

鳥が巣を創るときに、今年の夏は暑そうだ、といって巣の横にエアコンを付けますか?

そんなことはありません。
彼らはインプットされたレベルの創造性しか発揮できないので、それは『創造性』というにはレベルが低いでしょう。

『創造性』とは『全く新しものを考え、生み出す力』であり、それは『深く考える力』といってもいいでしょう。

神が宇宙を創るときに、この宇宙に存在する様々な生命体をデザインしました。本当に驚嘆する想像力ではないですか。地球にはまだまだ未知の生物であふれていますよね。

でも人間の『創造性』や『想像力』も負けてはいません。人間は時々神でさえも思いつかなかったような代物を思いつくことが出来るように創られているのです。

じゃあ人間を最初から完成した状態で創造して、その人間に後から神の全能性を以て『創造性』を付与することは出来ないのか、と考える方もいるかもしれません。

答えはnoです。
それは出来ません。なぜならそれでは結局『インプットされたもの』を脱却していないからです。

それを本物の『創造性』と呼ぶことは出来ません。その場合は神がこの宇宙を創造するときに用いた『想像力』の範囲内でしか人間は『創造性』を発揮することは出来ないでしょう。
そうなれば、人間は永遠に神が逆にびっくりするようなものを生み出すということは不可能でしょう。

神にとって人間は実につまらない存在に転落してしまいます。

『創造性』はタイプの違った人を愛するための力でもあるのではないか?

ここは少し僕自身の解釈が強いところですが、間違ってはいないと思うので、少し説明したいと思います。

それは『創造性』が最も発揮されるのは、人間が人間を愛するときではないか?ということです。
勿論『創造性』とは『考える力、ものを創る力』で間違ってはいないですが、その本質は『タイプの異なる人間を愛するための力』ではないかと思います。

以前、人間は形象的な個性真理体である、ということを説明しました。以下の図です。

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人間の体と心を規定するものは陽性と陰性なので、神からどのようなタイプの人間として創造されているかは人によって異なるのです。それは個性完成したとしても当然残ります。

皆似たような性格だったら、何の面白みもないですよね。

人はそれぞれ異なるのです。その調和が神が見たいものの一つなのです。

さて、人によって個性が異なるのであれば、誰かからされてうれしいことも人によって異なるということです。

ある人は一緒にサッカーをやってあげたら、喜ぶかもしれません。また別の人は一緒に花札をやってあげたら喜ぶかもしれません。

人を愛するということは究極的には相手を喜ばせるということなので、異なる人に同じことをしてあげてもそれは本当の意味で愛することにはなりません。

相手に合わせて、相手に見合ったことをしてあげてこそ、その人を真に愛するということになるのではないですか。

ということは『創造性』とはタイプの異なるすべての人を愛するために与えられている力だ、ということもできると思っています。

どんな人でも喜ばしてあげられる人は深い愛情とそれゆえに発揮される『無限の創造性』を持った人なのです。


万物に対する主人の権限『主管性』

神が人間に『責任分担』を付与することで与えたかったものがもう一つあります。それが万物に対する『主管性』です。

原理講論には次のように書かれています。

また。神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるその如くに人間も創造主の立場で万物を主管することが出来る主人の権限を持つようにするためであった。

まず『責任分担』が与えられているのは、人間だけです。
人間以外の万物には責任分担はありません。それはどういうことかというと『時間が経てば勝手に完成する』ということです。人間は時間が経っても、自分自身が努力をしなければか完成しません。
 だからよく、もういい歳なのに精神年齢的には子供そのものである高齢者も世の中には多いでしょう。

つまり、人間以外は時間が経てば勝手に完成するのです。時間が経てば植物は花が咲いて実をつけ繁殖しますし、動物も同じです。

逆に言うと人間が責任分担を果たさなければ、神でさえもその部分には干渉できないので、神がどんなに頑張ってもこの宇宙は完成しません。
人間が自分自身を完成させるということはこの宇宙の一部を自分の手で創造した、ということになるのです。

その場合、宇宙を創造したのは神と『誰』でしょうか。

神と『人間』です。
上記の文で『創造の偉業に加担させ』とあるのはそういうことです。

つまり宇宙の一部である人間を自分自身で完成させることで、この宇宙は『神と人間が共同で創り上げた』という立場に人間を立たせることによって、宇宙全体を人間に与える為に、神は人間に責任分担を与えたのです。
自分が築き上げてきた最高のものを自分の子供である人間に与えようとされた神の親として愛だということです。


人間が堕落した後も、責任分担を取りあげるわけにはいかない。

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原理講論の第2章は堕落論なのですが、今の世の中がここまで悲惨であるのは、人間が堕落したためです。
それは人間が自身の『責任分担』を果たせなかったので堕落したのですが、堕落したとしても神は人間には『責任分担』が残っているので、やはりそこには干渉することは出来ないのです。
もし干渉して、この世の中を救ってしまえば、本来人間に与えようとした最高のものを与えることが出来なくなってしまいます。

堕落したとしても人間がもう一度自らの努力でそこから這い上がってくるのを信じているのが神なのです。

そしてこの悲惨な世の中を見ながら、最も嘆き悲しんでいるのが神である、という結論になります。



はい。
以上が『なぜ神は存在しているのに人間に干渉しないのか?』という疑問に対する答えでした。


原理講論:世界平和統一家庭連合の教理を最も端的に紹介している書物。
記事内容についての注意
記事の内容は原理講論に基づいて書かれています。しかしながら、記事の中には筆者独自の解釈が反映されているところがあり、実際の教理を完璧に表現しているということは決してありません。従って、内容に関しましては世界平和統一家庭連合に一切の責任はありません。