ポルトガル語には接続法というすこし分かりづらい文法があるので補足しておきたいと思います。
それは、話し手がある事柄について想像、仮定、願望などの通して述べる場合に使います。
事実ではない、または事実かどうかわからない事柄を述べる場合ですね。可能性がそれほど高くないイメージ。形としては基本的に次の二つが多いです。
① 複文のqueの後
② Se, mesmo que などの仮定法
場合によっては例外もありますが、この2通りをしっかり押さえておくと良いでしょう。ただ普通に会話するときは接続法の活用形を使うのは少ないですね。
ぶっちゃけ、接続法の活用形を使わなくとも意味は通じます。
後述する表現の「se quiser」や「se fosse」「mesmo que fosse」「 se tiver」など、この辺りは何回も口で言って慣らしておくといいいです。
そうすれば、会話の中でさらっと口から出てくるようになるので言えることが増えますよ。
基本的な例
Eu vou para o Brasil(直接法)
Desejo qeu ele vá para o Brasil(接続法)
私は彼にブラジルに行って欲しい。
文の意味で分かりますが、下の文は「彼」が実際にブラジルに行くかどうかはまだ未確定です。あくまで私の希望の範囲。このように接続法とは「可能性」を匂わせるものと思っておくとイメージしやすいでしょう。
ちなみにdesejoの代わりにqueroも使えますよ。
Eu quero que ele vá para o Brasil.
こちらの方がより一般的です。英語で言えば、
「I want (人)to ~」 で「(人)に~して欲しい」というのと同じです。「Você pode~?」に比べ、少し遠回しに人に頼みごとをするときなどにたまに使うので、この形も何度も口で言って、慣らしておくと良いですよ。
Eu quero que...... Eu quero que...... Eu quero que......
Desejar やquerer以外でこの位置によく来る動詞はほかにもいくつかあります。
Espero que~
Receio que~
Acredito que~
などもしっかり押さえておきましょう。
仮定法のよく使う表現
さらに仮定法でよく使う表現を熟語として暗記し、覚えておくといいと思ってます。
Se tivesse dinheiro bastante ,compraria o carro.
もしお金がたくさんあったら、車を買うんだけどなぁ。
「Se tivesse~」で「~があったら」という意味でよく使います。
その後ろの文の動詞は、不完全過去形か過去未来形を使うのが基本なので注意。
さて、この文の「お金があったら」の「あったら」は過去形ですね。よって「ter動詞」の接続法過去形を使っています。
これを現在形にしてみたらどうなるでしょうか。
Se tenha dinheito bastante,compraria o carro.
もしお金がたくさんあるなら、車を買うんだけどなぁ。
この2つの文は日本語だとほとんど同じ意味なのが分かりますね。
つまり、そんなに時制は気にしなくとも意味は伝わるということです。日本語でもどちらも普通に使っていますよね。
さらに接続法を使わずに話しているのも現地(ブラジル)で何度も耳にしたことがありますよ。
つまり
Se tem o dinheiro, compraria o carro.
これでも十分に意味は通じるので、恐れずにどんどん話してみよう。
その他よく使うもの
Se quiser~
「quiser」は「querer動詞」の接続法未来形。よって、もし~したいなら、というふうに訳す。
Se você quiser ser capaz de falar o japonês, eu vou te ensinar.
もしあなたが、日本語を話せるようになりたいなら、私が教えますよ。
Se fosse~
もし~だったら、または、もし~に行ったら、と訳します。「fosse」は「ser動詞」の接続法過去形です。
Se eu fosse o passaro, podia voar livremente no ceu.
もし私が鳥だったら、自由に空を飛べるのになぁ。
Se eu fosse ao Japão, visitaria o Toquio.
もし日本に行ったら、東京に訪れるのに。
Se tiver ~
もし(未来において)~があればと訳す。「tiver」は「ter動詞」の接続法未来形。
Se tiver força amanhã, eu vou jogar futebol com vocês.
もし明日力が残ってたら、君たちと一緒にサッカーをやるよ。
Mesmo que(接続法)
たとえ~でも、と訳します。
これはきっと話していてもよく使うのではないかと思います。仮定の逆説ですね。
Mesmo que fosse o professor, talvez não entenderia.
たとえ先生でも、たぶん分からないだろう。
Mesmo que não tivessemos o carro, conseguimos cheger lá a pé.
たとえ車がなかったとしても、歩いて何とか行けるよ。
なぜ「mesmo」を使うのでしょうか。「mesmo」は英語で言うと「just」にあたります。ですので【ちょうど~】という意味が「mesmo」の原義だからだと思っています。
そこから派生して「まさに」とかそういうふうにも使います。この場合も「まさに」と置き換えると何となくニュアンスがつかめますね。
初めの文でいえば、「まさにちょうど先生であったとしても、わからないだろう」となり、先生という特定の人物に「just」しているというイメージ。
接続法についての補足説明は以上になります。