Saudades

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旧約聖書の「バベルの塔」を知ることで世界の言語が分かれた理由が垣間見えるよね、という話。

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こんにちは。
今日は「旧約聖書」に出てくる「バベルの塔」について事実と僕個人の考えとともにご紹介したいと思います。
そもそも「バベルの塔」って聞いたことありますか?
yesという方も多いと思います。聖書を知らない日本人でも聞いたことのある言葉って限られてますよね。「イエス・キリスト」だとか「モーセ」だとか「十戒」だと「アダムとイヴ」だとか「ノアの方舟」だとか、、、そしてこの「バベルの塔」も比較的有名な方ではないでしょうか。

バベルの塔
ブリューゲル1世のバベルの塔

ブリューゲル1世という画家が描いたこの空想の「バベルの塔」の絵はあまりにも有名ですね。想像でこれが書けるのがマジでやばいです。聖書には「バベルの塔」がどのようなものだったかはほぼ書かれていないので外観は全く分からないというのが実情な中でこれを書いたわけですので。

「バベルの塔」の物語を要約すると、「人々が天に届く塔を建てようとしたので神が人々の言語を乱した。よって人々がそれ以上搭の建設ができないようになり、全地(世界各地)に広がった」という話です。
ですが、これだけの認識だと正確な理解ではありません。重要なのは「神によって、人々が分裂したのか?それともすでに人々の中には分裂があったのか」ということだと思います。

それでは。



旧約聖書の「バベルの塔」て何?

バベルの塔

「バベルの塔」は旧約聖書の創世記に出てくる話です。創世記は旧約聖書の中でも一番初めの巻ですね。ですので聖書の中でもかなり古いというか時間的に前の話になります。

「アダムとエバの失楽園の物語」(この後、聖書歴史では約2000年経過しノアに至るが、実際は不明)

「ノアの箱舟」の話(ここでノアの家族以外は洪水で滅びる、人類リセット)

「バベルの塔」のお話。

こんな感じですね。
ノアの洪水で一度全人類が滅んだ後なので人間の数はそんなに多くないはずです。まぁノアの洪水自体が事実かフィクションかというのはありますが。ノアについては以前記事を書きました。

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それでは旧約聖書(口語約)の原文を少し見てみましょう。そんなに多くないです。

1) 全地は同じ発音、同じ言葉であった。
2) 時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
3) 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
4) 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」
5) 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
6) 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
7) さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
8) こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
9) これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

創世記11章より。

ちなみにこの前のところでは、「ノア」にはセム、ハム、ヤペテという子供たちがおり、その子供達から氏族が出てきたという記述があります。
「バベルの塔」は非常に短いお話ですが、多くのことを現在でも投げかけています。


神はなぜ言語を乱したのか?

すぐに疑問に思うのは神はなぜ人間の言語を乱したのか?ということですね。
先ほどの文中には

「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。

としか記述はありません。聖書ってイエス・キリストの言葉も含めて基本的にすごく説明不足なのでその解釈次第でキリスト教においても色んな宗派が出てきたりするんですよね。
この場面で「主」と記述されているのが「神」のことです。その神が人間の言語を意図的に乱しています。今の世界と照らし合わせて逆に考えてみてください。すなわち
「もし、世界中の言語が一つしかなかったら?」
と。
これは極めてすごいことです。めちゃめちゃ画期的なことだと思います。
コミュニケーションの難が世界中どこに行っても全くない状態ということになります。
まぁ僕はあまりコミュニケーション得意じゃないのでそれでも変わらないかもしれないですが(笑)

通訳や翻訳をやっている人は別の職を探さないといけないですね。そもそもそんな仕事が現れないです。海外旅行も行きたい放題です。行きたいけど、言語に自信がないからためらっている、という人も世の中にはいると思います。ビジネスも遥かに加速するはずです。海外との取引先の為に資料を英語にする必要なんてないわけです。国際問題等ももっと早く話が進むようになり和解に至るということもあるかもしれません。
 会社員であれば普段の業務の中で「業務改善」なるものがあったりしませんか?そのような観点から見れば世界の言語の統一はものすごい改善であり、莫大な利益をもたらすのではないでしょうか。

では、世界の発展を妨げてまで、神はなぜ人間の言語を乱したのでしょうか。
最も単純な解釈では「人間の傲慢さに対する神の叱責」ということになるかと思います。アダムとエバの失楽園の物語なども読んでみると一層理解しやすいです。

「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。」

この一文にあるように人間が天にも届くような搭を建てようとしているのがわかります。これはつまり、人間が自らの位置を忘れて神に至ろうとする「傲慢さ」が現れているということです。天とはどこを意味しているのでしょうか?山に上っても、世界で一番高い建物に上っても天に届くわけではないですよね。どこまで上昇しても宇宙空間に到達するだけで天に行きつくわけではありません。
つまりこれは、そのような意味の「比喩や象徴」であるということすぐにわかるかと思います。人間が神の領域に至ろうとした、というのが一般的な解釈になるわけです。
「バベルの塔」とは人間の「傲慢さ」を指していると言えます。
そのような人間を神は諌めるために言語を乱したのです。
実際「傲慢さ」とはとても難しい性質だと思います。人間はすぐに他人と自分を比較して一喜一憂するものだからです。あの人は仕事ができていいなぁ、あの人は才能があっていいなぁ、あの人よりはまだ自分はマシなのではないか、とそのような想いに駆られる人も少なくないと思います。
また頑張っている人であればあるほど、自分はこんなに努力している、こんなに自己改善に励んでいる、実績を上げている、自分はこんなに素晴らしい人間だ、と思いあがりをしてしまうこともありますよね。

これらは全て「傲慢さ」です。


世界の言語が分かれたのはこの「バベルの塔」より少ししてから

もし、聖書に書いてある内容が史実に基づいているとするのであれば、世界の言語が分かれたのは、この「バベルの塔」の物語からであると言えるでしょう。
ノアの子孫達(セム、ハム、ヤペテ)がそれぞれ別の場所に住むようになり、それぞれの言語を発展させていったのです。なんてことをしてくれたんだ、という気になりますね。もし、そこで彼らが一つの言語体系をしっかりと確立していれば、別々の地に住んでいても同じ言語を使用できていた可能性もあるのではないか?と思います。


本質的に人を結びつけるのは「言語」にあらず

人と人がコミュニケーションを図るのは言語のみによらないという話はよく聞きますよね。この記事では「バベルの塔」から世界中の言語が分かれたといいますが、普段生きていると本質的に人間同士を結び付けるのは「言語」のみではないことに気づかされます。
僕は以前ブラジルで2年間程住んでいたことがあります。最初に行ったときはポルトガル語が全く分からず、ブラジル人達は話すのが早いので僕には一生ポルトガル語は分からないだろうと感じ落胆しました。しかしブラジル人は皆、深い情を持っていました。自分にはないものだったのでそのようなブラジル人にとても心が惹かれたのを覚えています。何を言っているかわからなくとも彼らと一緒に笑いあうことができたし、スポーツをすることもできたし、慈善活動をすることもできました。
人は言語を超えてつながることもできるのだということを学びました。


実際のところは「バベルの塔」で何があったのだろう?

では、実際のところ、この「バベルの塔」の時代に何があったと予想できるでしょうか。
「神が言語を乱した」と言っても神は目に見える存在ではないし、人間の物質世界にはあまり直接干渉してこられないように思いますよね。
いや、そもそも神なんていないでしょ?人間の言語を乱しようもないでしょ?
という人もいると思います。ここはもう少し現実的に考えるべきところなのです。
小説「氷点」や「塩狩峠」などで知られる(僕は読んだことないけど)三浦綾子さんの著書「旧約聖書入門」では
「わたしは思うのだが、当時は言葉が一つだったと書いてあるけれども、しかしこの搭と町とを築き始めるとき、既に人々の中に分裂があったのではないだろうか」
と言っています。これは非常に鋭い考察ですね。僕もそう思います。結論から言うと「別に神が何かして、言語を乱したのではなく、共同作業をしていた人間同士相争うようになり、戦があって分裂した」ということです。「戦があって」というのはまぁ少し進んだ憶測ですが、僕はおそらくあったと思います。
実はこの「バベルの塔」の話の少し前に世の中に「権力者」が現れてきたという記述が聖書の中にあります。以下創世記10章7節より。

7) クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった。
8) クシの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。
9) 彼は主の前に力ある狩猟者であった。これから「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」ということわざが起った。

権力者がいれば当然それに従う人たちがいます。セム、ハム、ヤペテそれぞれの氏族でそのような者たちがおり、その各勢力が一緒になって、搭、まぁ実際にはブリューゲルの描いた絵のような搭ではなくて、「街」か何か建設していたとは思うんですが、そのような中で何が起こるかを想像するのは難くありません。
当時はまだ今のような法律やモーセの時代に創られた律法もありません。無法地帯です。そんな中で多数の人間がいたらどうなりますか。
人の中には自己中心性があるので、自分の方が人の上に立ちたいと思うようになるし、ほかの勢力や人間を出し抜こうとする者もあらわれるでしょう。最初は単なる言い争いでも方向性の違いが合わずに戦に発展することもあるでしょう。
そのような中で自然に分裂してお互いの氏族同士が離れていったのではないかと考えられます。


まとめ

簡単でしたが、「バベルの塔」の紹介でした。この話を通して僕が強調したいのは、世界がもっと発展していくために、「世界中の言語が統一されればいいのに」ということ、また普段の生活の中で「傲慢さに溺れないように気を付けよう」、ということ、そして「バベルの塔を建設していた人々が争いを始めた分裂した」という事実を考えたときに神が好きこのんで人間の言語を乱したのではない、ということです。人間の中にある、傲慢さも元々神が与えようとしたものはないということは以前の記事で紹介しています。

以上です。つたない文章ですが、ありがとうございました。