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カトリックとプロテスタントの違いを分かりやすく解説。差異を生み出している根源は何か?

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こんにちは。 本日は「カトリックとプロテスタントの違い」というものをテーマに書こうと思います。

カトリックやプロテスタントという言葉を聞いたことのある人は多いと思いますが、何が違うの?というと中々わからないですよね。

神父や牧師の呼び方、十字架や教会、マリアの扱いなど外的な違いはいっぱいありますが、ネット上には表面的な内容が多いように感じます。

重要なのはこれらの違いを生み出すことになった要因、すなわちそれはなぜ宗教改革がおこり、抗議する者という意味のプロテスタントが現れてきたかということです。

それがわかれば、全体像が掴みやすいのでその部分を重点的に御紹介します。

最初に以下に違いの概要をまとめましてみました。

なお、宗派によっては必ずしもこれに当てはまるとは限りません。

カトリック,プロテスタント,違い

カトリックとプロテスタントの違いの根本は中央集権か否か。

これに尽きると思います。

図で表すと下記のようなイメージ。

カトリックとプロテスタントの違い

なんとなくわかりますか?

つまりカトリックはトップダウンですね。それも結構強烈な。

トップは誰かというと、ローマ教皇です。ローマ教皇が絶対的な権力を持っており、神の代身のような存在です。全世界の信徒はローマ教皇の下についていると思ってもらってよいです。

日本では「ローマ法王」と呼ばれることもありますね。どちらも同じ意味です。

立場としては「ペテロ」の後継者です。「ペテロ」とはイエス・キリストの12弟子のひとりで、基本的には一番弟子と考えられている人物です。

だから、とても聖人としての位も高く、世界中の信徒より敬われるべき存在としてカトリックの中では成立しているわけですね。

バチカン市国は有名ですね。一度は行ってみたいなぁと思っていますが、ローマ教皇がいる場所がまさにバチカン市国なので集まってくるのはカトリックの信徒です。

対して、プロテスタントは「自由主義」または「聖書主義」という感じで理解してもらえばよいと思います。

「聖書とイエス・キリストこそが絶対的なものであり、ローマ教皇もイエスの母であるマリアもしょせん人間だ」という考え方に立っています。

言い換えると「聖書や個人個人の祈りを通して誰でも神に通じることが出来る」というわけです。カトリックにはこれが出来ませんでした。それこそローマ教皇のような聖職者を通じてしか一般信徒は神につながる道はありません。

このような考え方が出てきたのがまさに宗教改革なので、やはりその過程が一番重要だと思います。

カトリックの中からプロテスタントが生まれた理由(宗教改革はなぜ起きたのか?)

宗教改革がなぜ起きたのか?というとカトリックの腐敗、堕落を容認できなかったから、ということになります。西暦1500年くらいに起きたわけなので、カトリックはこの時点で既に1400年近い歴史がありますね。

それだけ長いとやはり内部が少しずつ腐っていくんです。それに耐えられず、「聖書を中心としてもっと本質的な信仰生活を追求しよう」というのが宗教改革の根源的な動機だったと思われます。

プロテスタントを生んだ宗教改革は誰が起こしたのか?

マルティン・ルター
マルティン・ルター

宗教改革を起こした人物として最も有名なのはドイツのルターです。 他に良く知られているのはスイスのツウィングリとその後を継いだカルヴァン。そして、イギリスのヘンリー八世です。

スイスやイギリスで起こった宗教改革もルターの影響を受けているので、実質的に火付け役となったのはやはりルターという認識でいいと思います。

ではなぜルターは宗教改革を起こしたのでしょうか。

ルターはカトリックの腐敗、堕落を見過ごすことが出来なかった。

カトリック教会の腐敗、堕落とは何でしょうか。 最も良く知られているのは教会が「免罪符」というものを発行するようになったことですね。

免罪符とは「持っていれば赦しが得られる証書」です。

つまり「これをお金で買えば、天国に行けるよ!」ってカトリック信徒たちに宣伝して販売するようになったわけです。

他にもイスラム教徒と戦うための十字軍に参加したり、教会や病院などの公共事業の為に献金する人にも与えられたようです。

これの何が問題なのかというと、ものすごく形式的なんですね。極端な話をすれば、殺人や泥棒を犯した人であってもお金を出して免罪符を買えば天国に行ける、そういう解釈になるんですね。心の中や精神面における本当の悔い改めや懺悔の思いとは関係ないわけです。

イエスの言葉を一つ紹介します。

しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。(マタイによる福音書5章28節)

このようにイエスはそれまでのユダヤ教徒は違って、内面の重要性を説きました。よってルターのようにアウグスチノ会修道院でしっかりと聖書を学んだ人からすれば、「カトリック教会のやっていることはイエスや聖書の教えと全然違うじゃないか!」となるわけです。

これはね、カトリックに限らず、残念ながらすべての宗教にあることで、教えの内容そのものは良いことなんだけど、そこにいる人は別に素晴らしくもない。

本当に良くあることなんですが、ルターはその本質に妥協しなかった人なんですよね。

ちなみにこの免罪符をカトリック教会がなぜ発行したでしょうか? 人々の救いの為?残念ながらそれは違います。

お金ですよ、どう考えても。お金集めの口実です。信徒たちは教会に対する信仰があるので、神父がそういったら信じるしかありません。

ルターは他にも多くの腐敗しきった内容があることを知っていたのでしょう。

例えば、
・神父による性的虐待(現在でも時々ある)
・教会の権力乱用
・信徒には清貧主義を説きながら贅沢な暮らしをする聖職者 Etc…

ルターは考えたと思います。

「なぜイエスの教えは素晴らしいのに、なぜ教会の中にはこれほどまでに多くの腐敗があるのか、、、」 「そうだ、やはり聖職者も人間であり、一般信徒と同じように罪人であるはずだ。その聖職者を絶対視するからおかしくなる、我々が信じるべきは聖書とイエス様の言葉のみだ」

このような結論に至るわけですね。

イエス様以外は皆同じ罪人である。これが後述しますが、マリアを常人とし、神父を牧師とした理由です。そしてカトリック教会よりもプロテスタント教会はシンプルで質素である理由でもあります。

宗教改革の結果どうなったのか?

30年戦争を経て、プロテスタントが認められて、ヨーロッパの中でカトリックが混在するようになりました。 またイギリスで生まれた清教徒(ピューリタン)はこのプロテスタントであり、後にアメリカ大陸に渡り、アメリカ合衆国を作るようになるんですね。

よってアメリカはプロテスタントが多い国です。

ちなみに宗教改革を通してカトリックも少しずつ自浄作用を発揮していくようになりました。ですので本稿は決してカトリックをディスる意味合いで書いているわけではありません。

カトリックとプロテスタントの外的な違いは?

ここまではカトリックとプロテスタントの原因的な違いを見てきました。次はそこから必然的に生じる外的な違いを見てみようと思います。 主には、教会や十字架の違い、聖職者の違い、マリアの扱いなどです。

教会と十字架の違。豪華絢爛なカトリックと清貧質素なプロテスタント

カトリックの教会は豪華なものが多いです。

ヨーロッパに旅行に行くと「~大聖堂」というすっごい豪華で天井が高い教会がたくさんありますよね。

普通キリスト教の教会っていうとああいうのをイメージする人が多いと思いますが、基本的にあれはカトリックの教会だと思ったらいいです。

それこそ免罪符で信徒たちから巻き上げたお金で建てられたのかもしれません(笑)。

対して、プロテスタントの教会はあんなに天井は高くありません。カトリック教会にあるような、きらびやかなステンドグラスやマリア像や宗教画などはありません。

シンプルな教会が多いです。 なぜだと思いますか。二つほど理由を考えてみました。

例えば、スタンドグラスが崇高な絵のようになっていたり宗教画などを信徒が見て感動したら、その場で祈り出すかもしれないですね。

それは別に悪いことではないんですが、下手をするとその物を対象として祈ってるんですよ。これはおそらくプロテスタントからすれば「偶像崇拝」に近い感覚だと思われます。

プロテスタントは聖書や神様イエス様絶対主義なので他のものが信仰の対象にならないように気をつけるようにした結果だと思います。聖書の言葉以外のものを絶対視する恐ろしさを知っているので同じ失敗を犯さないための工夫ですね。

十字架も同様で、カトリックはイエスが茨のかんむりを被ったリアルな十字架が多いですが、プロテスタントはただの十字のシンプルなものが多いです。これも神のような「目に見えないもの」にフォーカスするようになった結果だと思われます。

もう一つの理由が以下の聖句です。

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(ルカ18章25節)。

これはイエスの言葉です。イエスの教えは基本的に清貧主義的です。必要以上に贅沢をしない。だからアメリカのお金持ちとかは死ぬときに財産を寄付したりするらしいですね。そういう清貧主義的な発想が教会にも現れているんじゃないでしょうか。

プロテスタントは「誰もが聖書とイエス様を中心として神につながることが出来る」と考えたので、教会だけが聖なる場所ではありません。「どこでも神に通じることが出来るんだから教会は必要最低限のものでいいじゃないか」と。そんな感じですね。

聖職者の違い。呼び方もカトリックとプロテスタントでは異なる。

カトリックの聖職者は「神父」と呼ばれ、神との仲介役を果たす

聖職者の呼び方からして少し違います。カトリックは「神父」と呼ばれ、下記のような特徴があります。

・男性のみがなれる
・生涯、結婚することが出来ない。
・「聖職者」である。
・よって儀式を行う権利がある。信徒を神につなげる権能がある。

まずカトリックの聖職者は男性しかなれません。なぜそうなのかは良くわかりません。イエスが男性だったからか、12弟子が皆、男性だからか、 または聖書の中には

男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。(コリント人への第一の手紙 11章7節)

という聖句に従ってかもしれません。ちなみにこの聖句は下手をすると男尊女卑の根拠にもなり得るので扱いが難しいですね。

でも僕の考えはちょっと違って、男が自分の権力を維持するために「神父は男性のみ」というルールを作ったじゃないかと思っています(笑)。

やっぱり権力に固執するのってどちらかというと男性に多いんじゃないかなと思うんですよね。人の心の中まではわからないので、カトリックの神父になろうとする人たちの中には、権力や信徒たちからの尊敬の念を動機として出発する人も当然いたのではないでしょうか。残念ながら少なからず。

そして神父は結婚が出来ません。神父は儀式を行い、信徒を神につなげる役目があるのでイエスと同じように生涯独身を貫かなければならないんですね。これは実際中々つらいことだと思われます。僕には到底そんなことが出来る自信はありません(笑)。

しかしながら現在でも時々、神父による児童への性的虐待が問題になることがありますよね。やはり神父だからと言って性欲を完璧にコントロールできるわけではないんですね。

「聖職者」というのは聖なる立場です。神の代理と言ってもいいです。ですので、カトリックの神父には様々な秘蹟とか儀式を行う権利、権能が認められていて、一般信徒と神の仲介をはたすわけです。

そのよう中で信徒は自然に神父たちを尊敬し、畏敬の念を抱くようになります。そして聖職者は尊い存在である、という認識に発展していきます。

それ自体は別に悪いことではないのですが、問題は何かというと神父自身が「自分は神に近い特別な存在だ」と錯覚する可能性がある、ということです。

「私の言うことは神のお告げであるぞ」みたいなね。 権力を振りかざしたり、時には女性信徒と関係を持ったりね。実際そういうことはいくらでもあったと思いますよ。

だからプロテスタントは「聖職者」という立場に反対なんですね。よってプロテスタントはローマ教皇も認めていません。

プロテスタントでは「聖職者」ではなく「教職者」

プロテスタントでは「教職者」という言い方をします。

何が違うんでしょうか。

「聖職者」は神の代理を務めるものであるのに対し、
「教職者」は「聖書の内容を教えるもの」というイメージです。

あくまでも絶対的なのは聖書であって、教職者そのものは別に偉くもなんともないぞ!ということです。 プロテスタントにとっては「イエス・キリスト以外は皆同じ」という見解です。

「教職者」は「牧師」と呼ばれます。 「牧師」は「神父」と違って結婚も出来ますし、男性でも女性でもなることが出来るのです。

公職者の違い
カトリック:「聖職者」。男性のみ。結婚不可。儀式の権能などがある。
プロテスタント:「教職者」。男女可。結婚可。あくまで聖書を教える人

カトリックとプロテスタントのマリアの扱いの違い。

ここまでくればもうなんとなくわかりますよね。

カトリックにとっては「聖母マリア」です。「サンタ・マリア」とかよく聞きますよね。

ビートルズの「Let it be」の歌詞の中に「Mother Mary comes to me」というのがありますが、あれは「聖母マリア様が私の元にきて、、、」みたいな訳になるので、あ、ジョン・レノンはカトリックなんだなってことがわかりますね。

「聖母」なのは、神の子イエス・キリストを生んだからです。 ちなみに聖書では、マリアは処女懐胎と言って、処女で妊娠したとされてますが、はっきり言って、誰かと肉体関係を持たずに妊娠することなどあり得ません。

イエスの父親が誰かについては下記の記事で紹介していますので参考に。

www.kenya316.com

プロテスタントにとっては、イエスだけが神の子で、マリアは普通の人間という扱いになっています。ですので畏敬の対象ではなく、崇めることは当然しません。

これもやはり「イエスと聖書以外のものを絶対視してはいけない」という宗教改革の教訓が生きています。

マリアの扱い
カトリック:聖母マリア。教会にもマリア像などがある。イタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
プロテスタント:普通の人

その他の違いについて

信徒数

カトリックの全世界の信徒数はおよそ12億人と考えられています。

特に多いのはヨーロッパとアメリカ大陸である。2000年度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、アフリカに1億3000万人、アジアに1億700万人、オセアニアに800万人である[8]。Wikipediaより

対してプロテスタントの信徒数は全世界の5億人程度といわれています。

カトリックのほうが多いんですね。 まぁ歴史的なことを考えれば当たり前な気がします。 カトリックは2000年近い歴史があるのに対して、プロテスタントは500年ほどですので、むしろその割にはちょっと多いくらいだと思います。

カトリックが多い国、プロテスタントが多い国

国によってカトリックやプロテスタントの比率や数にも違いがあります。

カトリックは以下のような国に多いです。

ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国でフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アンドラ、モナコ、サンマリノ、非ラテン諸国ではオーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ、ハンガリー、アイルランド、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、リヒテンシュタインである。ドイツ、オランダ、スイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。

アメリカ大陸では特に南アメリカに信徒が多く、特に多いのはメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、パラグアイである。Wikipediaより

イタリアはカトリックの総本山であるバチカン市国があるのでわかりやすいですね。宗教改革が始まったドイツでもカトリックとプロテスタントは同数程度というのは少し驚きました。

対してプロテスタントは次の様です。

プロテスタントが他のキリスト教諸宗派より多い国は、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、エストニア、イギリス、ケニア、ガーナ、ナイジェリア、リベリア、シエラレオネ、マラウイ、コンゴ共和国、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、エスワティニ、南アフリカ共和国、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィジー、トンガ、ソロモン諸島、バヌアツ、アメリカ合衆国、ジャマイカなどとなっている。ただし、宗教改革発祥の地であるドイツはカトリックとほぼ拮抗した状況となっている Wikipediaより

特徴的なのはやはりイギリスやアメリカがプロテスタントが多い国である、ということです。イギリスは昔、大英帝国と呼ばれ世界で一番力を持っていた時期がありますし、アメリカは現在でも大きな力を持っています。

これらの国の急激な発展に寄与したのは、清教徒(ピューリタン)から生じた民主主義の精神ではないかと思われます。

トップダウンが強すぎると個々の人間が本来持つ能力を最大限発揮できなくなってしまうのかもしれないですね。

まとめ

どうだったでしょうか。
今回は「カトリックとプロテスタントの違い」というテーマで紹介しました。 外面的には今回紹介できなかった違いもありますが、最も重要なのは、なぜ宗教改革が起きたか?ルターはどのような教会を作ろうとしたか?といったところです。

聖書と神、イエス・キリストだけを絶対視し、それまでのカトリックよりもより精神的に高みを目指したプロテスタントの精神がそのような外的な違いに現れているということがお分かりいただけたと思います。

最後までお読みいただき有難うございました。