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新約聖書と旧約聖書の違いについて世界一わかりやすく説明するよ。

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基本的に聖書という本を見かけるときにその多くは新約聖書と旧約聖書の両方が入っているものが多い。日本人は聖書なんてほとんど興味ないと思うけど、読んでみると結構面白いと思う部分もあるし、新約聖書の中には現代人に必要な内容も多くある。新約聖書と旧約聖書の何が違うのかといったときにネット上にもいくつかの記事が見受けられたが、主観的な書き方が多かったので、もう少し客観的にその違いを明らかにしておこうと思い、まとめることにした。



新約聖書と旧約聖書の違いの概要

まず「新約」と「旧約」の「約」は「契約」とか、もっと平たく言うと「約束」という意味がある。「約束」とか「契約」というものは通常一人でするものではない。つまり基本的には相手が必要だ。じゃあ聖書の「契約」は誰と誰が結んでいるのだろうか。答えは「人間」と「神様」である。
例えば、有名なノアの箱舟の話。神は洪水で地上のすべての生き物を滅ぼした後、ノアに対して次のように言っている。

「わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。 :10)またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣、すなわち、すべて箱舟から出たものは、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。 :11)わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。 :12)さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。 :13)すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。 :14)わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。 :15)こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。 :16)にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。 :17)そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。

これは非常にわかりやすい神と人間の約束だ。ノアの洪水で地上の生物を滅ぼした神はノアに対してもう二度と同じようなことはしないと約束している訳である。雨が降って虹が現れるのは神と人間の契約のしるしであるというのだ。またモーセの時代にも神はモーセに次のように言っている。

:1)神はこのすべての言葉を語って言われた。 :2)「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 :3)あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 :4)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 :5)それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 :6)わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。 :7)あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。 :8)安息日を覚えて、これを聖とせよ。 :9)六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 :10)七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 :11)主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。 :12)あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。 :13)あなたは殺してはならない。 :14)あなたは姦淫してはならない。 :15)あなたは盗んではならない。 :16)あなたは隣人について、偽証してはならない。 :17)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

これも有名な十戒の内容である。神がまるでモーセと会話しているように記述されているが、おそらくモーセが自分の身近にいるイスラエル民族の幹部たちと議論し、このようにユダヤ教の土台となる法律を作ったのであろう。

またユダヤ教徒が経典として用いるのは「旧約聖書」であり、「新約聖書」はおそらく用いない。だから彼らにとっては新旧の区別はない。「旧約聖書」、「新約聖書」という言葉はそもそもキリスト教から出てきた言葉であるということだ。キリスト教徒は「新約」「旧約」どちらも用いるが、「新約」のほうが当然重要である。「新約聖書」と「旧約聖書」で書いてある内容はどう違うかというと全然違う。「旧約聖書」はイスラエル民族(のちのユダヤ人)の歴史が記してある。つまり、イスラエル民族の歴史におけるノンフィクションの内容に脚色して物語チックにしたもの、それが旧約聖書である。それに対して「新約聖書」はイエス・キリストの生涯を弟子がまとめた「4つの福音書」を根幹として、イエス・キリストの教えをパウロがまとめたもの、である。詳しくは後述する。


旧約聖書とは何か?

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旧約聖書とは、イスラエル民族の歴史を記したものである。イスラエル民族とは今でいうとユダヤ人のことで、現在はユダヤ教に改宗すれば、ユダヤ教徒として認められるけど、イスラエル民族といった場合は”血筋”が必要である。つまりただ一人の先祖をもつわけだ。その先祖が旧約聖書でいうとアブラハムである。アブラハムの前には有名なノアの箱舟のノアとか、人間始祖であるアダムとイヴも登場しているが、そこまでさかのぼるとノンフィクションとしての信ぴょう性はほとんどなくなるだろう。だからイスラエル民族の先祖はアブラハムと考えられている。
アブラハムの子供のイサク、イサクの子供のヤコブ、このヤコブが12人程度の子供を産み、それぞれが族長となって更に繁殖した。その中から出てきたのが有名なモーセであり、サウル、ダビデ、ソロモンなども比較的有名なイスラエル民族の王だ。最終的に彼らはローマ帝国の属国としてユダヤという国を建国した。ここまでの歴史が記されているのが旧約聖書である。アブラハムが登場して以降は基本的に事実に基づいて書かれているらしいが、どれだけ正確な記録が可能だったかは定かではないので、多くの脚色があることは間違いない。
つまり、旧約聖書とは一言でいうと、”イスラエル民族は頭が良かったから、自らを神に選ばれた民として、自分たちの歴史的事実を物語風に書いた書物”ということになる。物語風とか言うと反発を受けるかもしれないが、だったらまず紅海を割って見せろと言いたい。”アブラハム以降は事実に基づいて”といっているあたり、これでも僕は譲歩したほうだ。
ちなみに有名なノアの箱舟の話は、聖書に書いてあるものがオリジナルではなく、ギルガメッシュ叙事詩にオリジナルの話がある。
ではなぜイスラエル民族はこのような書物を残したのだろうか?それには彼らの信仰が大きく関係している。いつからイスラエル民族が神を信じていたかは分からない。最初からそうだったのかもしれない。神を信じた彼らは自分たちを”神に選ばれた民”と考えていた。そして神がいつの日か救世主メシヤなる存在を送ってくれると信じていた。神とかメシヤという存在はイスラエル民族にとっての拠り所だった。旧約聖書を見ればわかるが、その歴史には苦難が多く、いつか自分たちを解放してくれるものが現れるという慰めがあったほうが生きやすかったのだろう。イスラエル民族の苦難の例を挙げれば、ヤコブの子供たちがエジプトで繁殖した後はエジプトの原住民に奴隷として扱われていた。そこでリーダーシップをとってエジプトを脱出したのがモーセである。出エジプト記に記してある。またサウルやダビデが収めた王国は後に分裂した後、バビロンに滅ぼされて捕囚となった。何とか生き延びて現在のイスラエルの地に戻ってきた彼らが預言者であるマラキに従い建国したのがユダヤという小さな国だった。このようにどちらかといえば”支配される”立場にいた彼らが強く望んでいたのがメシヤの降臨であり、イスラエル民族にとってのメシヤとは政治的な解放者である。つまり国を導いていく強いリーダーのことだ。メシヤに対する信仰が普及したのは預言者が神がメシヤを送るという予言を聖書に残しているからである。ユダヤ教の布教のために旧約聖書は大いに役にたった。


新約聖書とは何か?

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では新約聖書は何だろう。新約聖書は最初マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書があり、その次に使徒行伝、そのあとにローマ人への手紙、コリント人への手紙など手紙系がたくさんある。一言でいうと”イエス・キリストの生涯とその教えをまとめたもの”である。旧約聖書を記した者はゆユダヤ民族だが、新約聖書を記した者はユダヤ民族の中からキリスト教徒に改宗したものである。ご存知のようにその後、キリスト教は世界中に爆発的に広まった。

4つの福音書はイエスの生涯の記録書

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはいずれもイエスの弟子である。そして彼らがイエスと一緒に布教活動をしながら、その言動をまとめたもの、それが4つの福音書だ。イエスの誕生から、十字架での死、復活までが書いてある。イエスが十字架でなくなったのは33歳だからおよそ30年分のイエスの記録だが、幼少期はほとんど記されていない。知人などから聴取し記すのもなかなか難しかったと思われる。イエスの誕生の経緯は親族などから何とか聞き出したのかもしれない。4つの福音書は時系列はどれも同じだ。だが、記録した弟子の記憶や細かさや主観次第で内容は若干変わるけど基本は同じである。

使徒行伝は弟子たちの布教活動の様子を記録したもの

その次にある「使徒行伝」にはイエス・キリストが死んだあとに弟子たちが布教活動をしていく様子が記録されている。ただもっと正確に言うとパウロが自分の布教活動を記録したものである。このパウロがかなり重要人物なのでしっかり理解しておくこと。実は上で紹介した4つの福音書以外を書いたのはほとんどこのパウロだからだ。実に新約聖書の7割程度を記したことになる。ただここで気を付けないといけないのはパウロはイエス・キリストが死んでからイエスの弟子になった人であるということだ。これはテストに出てもいいくらい重要。パウロは元々の名前をサウロといい熱心なユダヤ教徒だった。ユダヤ教徒はイエス・キリストをメシヤとしては受け入れず結局十字架で殺した。そしてサウロ(パウロ)もそれに同調していた。つまり熱心にイエス・キリストとその弟子たちを迫害していたわけである。イエスの弟子だったキリスト教最初の殉教者といわれるステパノが石で撃ち殺される時もサウロは同じ広場にいて”そいつを殺せ”と叫ぶほどだ。
 そのサウロがなぜかイエス・キリストがなくなった後にキリスト教に改宗し、破竹の勢いで布教活動をしていくのである。使徒行伝にはサウロが改宗する場面が書かれている。サウロ自身が記したものだが、ある時サウロは3日3晩、目が見えず耳が聞こえない状態だった。おそらく昏睡状態に陥っていたのだと考えられる。その夢の中でイエス・キリストが現れてサウロを伝道するわけである。目覚めたサウロの目から鱗のようなものが落ちたと聖書には記録されている。これが”目から鱗”という慣用句の起源となっている。おそらくサウロは昏睡状態に陥って生死の境をさまよった後、夢でイエスが現れて、奇跡の生還を果たしたからイエスすげー!ってなって改宗したんだと思う。
しかし、ここであれ?ってなるのは何かっていうと、パウロ(サウロが後に改名)はイエス・キリストには直接会ってなくね?ってことである。上記の4つの福音書はイエスが生きている間にイエスに伝道された人たちなので、その教えや言葉を直接伝え聞いているがパウロはイエスには会っていない。にもかかわらず新約聖書の7割以上を残している訳である。本来なら、マタイとかルカがそうすべきだったと考えられる。故に宗教を研究する人の中にはキリスト教のことをパウロ神学だ、という人もいる。イエスの本当の教えが正しく伝わっているかは分からないというのである。

そしてそのあとの新約聖書の~への手紙シリーズもほとんどパウロが記したものであり、どっかの教会などにどのように信仰生活をすればいいかの助言を記したものである。それじゃパウロ神学って言われてもしょうがないじゃん(笑)と個人的にも思うけど、自分自身の信仰的な立場では僕はそれには賛成しない。

新約聖書をまとめると”イエスの生涯を4人の弟子がまとめたものとパウロがイエスの教えを伝え聞いて独自の解釈でまとめ上げたもの”という感じになる。


はい。以上が旧約聖書と新約聖書の違いになります。重要な点をまとめたつもりです。もしかしたら間違っているところもあると思うので何かありましたら具体的に指摘してください。ネット上の他の記事を見たら、かなり主観が混ざっているものが多かったのでイラっとして書きました。僕が書いたこの記事もクリスチャンやユダヤ教徒がみたらイラっとすると思う(笑)。

はい。今回は以上になります。
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