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ユダヤ民族とアラブ民族の仲が悪いのはなぜ?根本は旧約聖書にあった!

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中東戦争といえば、ユダヤ人国家のイスラエルと周辺のアラブ国家の戦争ですよね。
1948年の第一次から1973年の第四次まであります。
第一次から第四次それぞれで政治的な要因はもちろん異なりますが、その根本的な要因が紹介されている記事は多くないように思います。
第一次中東戦争でいえば、イギリスの「三枚舌外交」、第二次でいえば、エジプトの「スエズ運河の国有化」等、利害関係があるのは当然ですが、実はこれらは本質的な要因ではなく、「二次的」な要因だと思います。
つまり、なぜ、「ユダヤ」と「アラブ」の仲が悪いのか?ということです。いやいや、それはイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの宗教の聖地であるエルサレムを見れば明らかじゃないか?と思うかもしれませんが、それだけでは正確な理解ではありません。
聖書にはかなり具体的にその根源が書かれており、「信仰の祖」と言われる「アブラハム」の妾とその子供「イシマエル」が大きく影響しています。今回はその内容を記事にしました。


中東戦争の内的な原因は旧約聖書にあった?「ハガル」と「イシマエル」とは?

さすがに日本人で「ハガル」とか「イシマエル」とか聞いてぴんと来る人はほとんどいないですよね。
では、「アブラハム」はどうでしょうか。少しは聞いたことありますね。
アブラハムはユダヤ民族の先祖とされている人物です。詳細は割愛しますが、アブラハムの子供のイサク、その子供のヤコブには12人くらい子供がおり、その12人がユダヤ民族の各部族を形成していったイメージです。
ユダヤにとっては非常に重要人物と捉えてもらえればいいかと思います。

では、まずアブラハムについてから少し旧約聖書を見ていきます。


神がアブラハムに祝福の言葉を授ける。

1) これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」。
2) アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。
3) アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。
4) この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。

5) そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。

これはアブラハムがひと悶着あった後の神とのやり取りです。
ポイントとしては最後のほうの神の二つの言葉です。

まず「あなたの身から出るものが後継ぎとなるべきです」とありますが、
これはアブラハムと血のつながった子供が、ということですね。のちに登場する二人の子供「イサク」と「イシマエル」がいるのですが、どちらがアブラハムと後継ぎとなるか、ということが重要です。
そしてこの二人は異母兄弟の立場なんですよね。これも後ほど。

次に「星を~」のくだりですね。
言っている通りですが「星の数ほど、子孫が殖え広がる」というのはすごいことですね。
実際「アブラハム」は現在のユダヤ民族の先祖なわけなので、そう考えるとこの時の神の言葉全く間違っていません。
そして実は、アブラハムはアラブ人の先祖でもあります。


アブラハムの妻のサラはなかなか子供見恵まれなかった。

1) アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。
2) サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。
3) アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。
4) 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。
5) そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。

6) アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。
7) 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、
8) そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。

さて、アブラハムには正妻のサラ(サライ)がいましたが、サラにはなかなか子供が生まれませんでした。
そこでサラが提案したのが、「私のつかえめと関係をもってください。」ということです。「サラのつかえめ」ということなのでサラの奴隷だと思われます。ここでも出てきてますが、聖書で『入る』とあったら『性行為をする』という意味でつかわれる場合が多いです。

そう考えるとこれはとんでもない提案ですよね。
自分の夫に妾と関係を持つように言っている訳です。これはどう考えても苦肉の策であり、サラの胸中は穏やかなものではなかったでしょう。

それでも後継ぎは必要なので自分の気持ちを押し殺してアブラハムに進言したと予想できます。

しかし、狙い通りハガルが子供を身ごもったのはよかったですが、妾の立場である自分が子供を夫に得させたのでハガルはサラを見下すようになったと書いてありますね。

まるで昼ドラのような愛憎劇があったのかもしれません。

サラはそれを受けて自分から提案したにも関わらず、アブラハムにせいだ!といって客観的に見れば八つ当たりをするようになります。

元々、ハガルはサラのつかえめなので、ハガルに厳しく当たるようになり、ハガルは一度アブラハムの家を離れました。

一時的に家を離れたハガルを祝福する神

9) 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
10) 主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。
11) 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
12) 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。
13) そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。
14) それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた。これはカデシとベレデの間にある。
15) ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。

これはすぐ後の場面です。
ハガルは出ていった先で神と出会いました。
神は「家に戻りなさい」といい、さらに「あなたの子孫を増して、数えきれないほど多くしましょう」と祝福します。

ここはかなり重要ですね。
神は「ハガル」とその子供をこの場で祝福しているんですよね。
そして生まれたのが「イシマエル」です。


アブラハムとサラも再び祝福する神

15) 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。
16) わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。
17) アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。
18) そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。
19) 神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。
20) またイシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。
21) しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てるであろう」。

先ほどの少し後の場面です。
今度は神はアブラハムとサラを再び祝福しました。
この時点でまだサラには子供がおらず、すでに90歳にもなっていたようです。たださすがに現代の数え方で90歳で子供を産むのは難しいですよね。
特に旧約聖書の最初のほうは年の数え方が今とは異なることは容易にわかりますね。
実際は40歳くらいだったんじゃないかなーと個人的には思ってます。
ここで神は「サラはこれから子供が生まれるよ。その子孫達から各部族の王たちがでるよ」と言っています。
アブラハムはこの神の言葉がとても信じられませんでした。心の中で笑った、とあります。ここもとても面白い場面だと思います。
いかに信仰のあるアブラハムでも「いや、さすがに無理でしょ!」って思ったんですね。
だからせめてイシマエルは死なないようにしてください、とアブラハムは懇願しますが、神はサラに子供が生まれると繰り返します。

少し重要なのは、この時点ではアブラハムは当然イシマエルに家を継がせるつもりなんですね。
考えてみれば当たり前ですね。ほかに子供がいないわけですから。


天使がアブラハムのもとに訪ねてくる。「あなたは笑いました」

9) 彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。
10) そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。
11) さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。
12) それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
13) 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。
14) 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。
15) サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」

この場面の最初のところにある「彼ら」は「天使」を表していると思われます。
天使がアブラハムに「来年の春にはサラに子供が生まれているよ」といったことを実は天幕の中にいたサラも聞いていました。
天幕というのはテントみたいなものですね。

サラは月経がすでに止まっていたともあります。さすがにそれでは妊娠しようがないのでこれは多少盛った書き方をしている可能性が高いです。
先ほどはアブラハムが笑いましたが、今度はサラが天使の言葉を聞いて笑いました。それを神に指摘されたので、信仰のなさを露呈するのが怖くてサラは「私は笑いません」と否定しますが、神に再び言われました。

それがまぁ、書いてあることを読み取った解釈だと思うんですが、僕が聖書を読んでいるときに感じた印象は少し違ったものでした。

「サラは心の中で笑った」という部分で、普通に見れば、「もう月経も来ないのに子供なんて生まれるわけないでしょ」という神に対する否定的な、また自虐的な意味で笑ったとなると思うのですが、もしかしたら、「子供が生まれるよ」って言われたことが一瞬うれしくてサラは笑ったんじゃないかなーって思います。

あくまで予想ですね。

そうするとそのあとの場面の印象も少し変わります。サラの「私は笑いません」というのは、
「(とても神の言葉が信じられないので)笑えなかったんですよ」といったのに対して、「いや、あなたは神の言葉に喜んで一瞬笑いましたよ」みたいね。

そのようにとらえると、サラは神の言葉を信じたんじゃないかと思うわけですね。でも現実的に考えるとなかなか信じられない部分もあったのでそのあとすぐに真顔になった、というのが僕の解釈です。

なぜそのように思うかというのも理由があります。

サラにはずっと子供が生まれなかったことを思うと、何か理由がなければ高齢になってから神がわざわざ子供を与える必要がないと思うんですね。
もうすでにイシマエルがいるわけなので、一応アブラハムの後継ぎはすでにいます。
それでも神がサラに子供を与えたのは、やはりサラ自身がアブラハムの子供を産むことを願ったからではないかと。

つかえめに子供が生まれて後継ぎができたからと言って、サラの立場ではそれで満足なんて絶対できないじゃないですか。

しかも聖書のほかの部分を読むと、サラとアブラハムはとても仲睦まじい夫婦だったようです。簡単に言えば相思相愛だったんですね。

そう考えるとやはり奥さんの立場では、自分の愛する夫に子供を得させたい、と思うのが普通ではないでしょうか。

じゃあ、そのためにサラはどうしますか。

それはもう祈るしかないです。当時は不妊治療なんてあるはずもないですからね。

必ず神様に祈祷をしたはずなんですね。毎日毎日欠かさずに。何時間も熱心に神に祈りをささげたんじゃないかと思います。
その信仰的な姿勢に神が感動したから、子供を与えようとしたんじゃないかというのが僕の考えです。

遂にサラにイサクが生まれる。

1)主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。
2)サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
3)アブラハムは生れた子、サラが産んだ男の子の名をイサクと名づけた。
4)アブラハムは神が命じられたように八日目にその子イサクに割礼を施した。
5)アブラハムはその子イサクが生れた時百歳であった。
6)そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。

サラに本当に子供が生まれました。「イサク」という名前です。

この場面でのサラの気持ちを少し考えてみることはとても重要です。
すでに月経が止まっていたくらいに年老いていたのに神が子供を授けてくださった。
先ほど書いたようにもし、サラがそのために死ぬほど祈祷をささげて神がそれを顧みてくれたんだとしたら、サラはどんな気持ちになりますか。

やっぱりめちゃくちゃ神に感謝したんじゃないかと思います。
「ハレルヤ!おお、主よ!」みたいにです。

この「イサクが生まれた」ということを通してサラは神の深い慈悲に触れたわけですね。何があっても神に付き従う、侍り奉る、という決意を固めたんじゃないかなと思います。

それは実は「アブラハムのイサク献祭」を通してわかるんですね。
そのうち別途に記事にします。

9) サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、
10) アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。
11) この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。
12) 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。
13) しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。

先ほどはサラを持ち上げるようなことを書きましたが、相変わらずサラはハガルには厳しいです(笑)
なんとサラはアブラハムにハガルとイシマエルを家から追い出すように言います。

アブラハムはさすがに心配しましたが、神が聡ました。そして最後に「これをも一つの国民とします」と言っています。

この一文はめちゃくちゃ重要です。そうです。「イシマエルの子孫」も一つの国民、または民族になるということを暗示しています。


結局ハガルとイシマエルはアブラハムの家から追放されました。
元々は「イシマエル」が家督相続権という、家を継ぐ権利を持っていました。しかしサラにイサクが生まれたので、やはりアブラハムは正妻であるサラを愛していることもあるので、イサクにその権利が移っております。

ここで考えてみてください。
ハガルとイシマエルの立場だったらどのように感じますか?

元々、アブラハムとサラの都合で後継ぎにするために子供を作ったのに、後に生まれたイサクにその権利を奪われ、家も追放される立場。つかえめが家を追われればそのあと生き抜くのは通常はかない厳しいです。

間違いなくハガルとイシマエルは強烈な寂しさや悔しさ、悲しみを感じたはずです。
それはまさに強烈な「恨み」です。

そして実はこの「恨み」が現在のユダヤ民族とアラブ民族の葛藤を作り出していると考えられます。

そんな昔のことが?と思いますか?

僕はそうは思いません。

何かに虐げられた、という事実は時間がたてば勝手に解決されるものではないからです。「恨み」というのはとても恐ろしくて、それを与えた人物が相手に謝罪なりなんなり穴埋めした上で、相手より赦しを得ないと消えるものではないと思います。

例えば、普通に生きていても、学生時代にされた嫌なこととかって結構覚えてますよね。自分をいじめていた相手に大人になってから偶然出会い、何のわだかまりもなく接するということは不可能でしょう。

逆に僕が過去にひどいことを言ってしまっただとか、してしまっただとか、そういう人に対して謝りたいと感じていることもあります。

いいですか。「恨み」とは時間が勝手に解決するものではないんです。その恨みを解消しないでさらなる衝突を繰り返していくとどんどん大きくなっていくものです。

僕は日韓関係にもそういう側面があると思っていて、それが解決を難しくしていると思います。それについてはまた記事を書ければと思いますのでこの場では割愛します。

アラブ民族の根底にあるのはこの「恨み」の負の感情です。
そしてその「恨み」によって報復すると相手にも「恨み」を与え、増大させることにもなると思われます。

そのようにしてこじれにこじれてきたのが世界の歴史です。


その後のハガルとイシマエルはどうなったの?

14) そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。
15) やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、
16) 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。
17) 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。
18) 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。
19) 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
20) 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。
21) 彼はパランの荒野に住んだ。母は彼のためにエジプトの国から妻を迎えた。

アブラハムが与えた革袋の水も尽きていよいよ死を待つような状態にまでなっています。この時のハガルの心情はあまりにも悲惨なものでした。

しかし、神はハガルとイシマエルを見捨てるようなことはなく、井戸を見つけさせ、イシマエルが立派に成長するようにしました。
最終的にエジプトの女性と結婚したようですね。

イスラム教の教祖であるムハンマドもこのイシマエルの子孫と言われます。ただイシマエルがエジプトから妻を迎えたという記述を見ると、この時すでにエジプトは国家の体裁をなしていたとすれば、エジプト人の起源は少し違うようですね。ハガルも元々エジプトの女でしたので


イシマエルの顛末は?

13) イシマエルの子らの名を世代にしたがって、その名をいえば次のとおりである。すなわちイシマエルの長子はネバヨテ、次はケダル、アデビエル、ミブサム、
14) ミシマ、ドマ、マッサ、
15) ハダデ、テマ、エトル、ネフシ、ケデマ。
16) これはイシマエルの子らであり、村と宿営とによる名であって、その氏族による十二人の君たちである。
17) イシマエルのよわいは百三十七年である。彼は息絶えて死に、その民に加えられた。
18) イシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。イシマエルはすべての兄弟の東に住んだ。

旧約聖書は基本、ユダヤ民族の歴史書の側面があるので、その後のイシマエルについての記述は上記だけです。
なんとイシマエルにも12人の子供がいたと書いてあります。ここの人物たちからアラブ民族が殖え広がっていったわけですね。
旧約聖書については下記の記事で紹介しています。
www.kenya316.com



まとめ

どうでしたでしょうか。
イサクはユダヤの先祖、イシマエルはアラブの先祖です。アブラハムは両方の先祖ですね。
旧約聖書に書いてある内容を知ることで「そもそもなぜユダヤとアラブは仲が悪いのか?」ということが理解できると思います。その恨みの感情を先進国などが自国の利益のために利用しようとするから中東戦争のようなことが起きるわけですね。
それでは。