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モーセの『十戒』と実は結構深いその意義について超わかりやすく解説するよ。

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こんにちは。
今日はモーセの『十戒(じっかい)』について御紹介しようと思います。
旧約聖書を読んだことのない人でも「十戒」とか「モーセ」といった言葉は聞いたことがありますよね。「モーセ」といえばエジプトのパロ王からユダヤ民族を引き連れて逃げる際に紅海が割れる奇跡を起こしたということで有名ですね。

モーセ,十戒

では『十戒』はいつ造られたのでしょうか。

紅海を渡ってカナンの地(現在のイスラエルの付近)を目指していた途中のシナイ山というところでモーセが神様より授かったとされるのが『十戒』です。

「十戒」はその名の通り、「~してはならない」という形式で書かれた教えというかルールというか、現在でいうユダヤ教の法律の原形のようなものが作られました。

それでは「十戒」について解説していきます。


『十戒』が成立に至るまでの歴史を簡単に

『十戒』が出来たということだけでなくその前後のユダヤ民族の移動をその理由も含めて理解しておくと結構よくわかる気がしたので以下でめっちゃざっくりと解説します。

ヨセフに従って、ユダヤ民族がエジプトに移動

アブラハムの孫のヤコブには12人くらいの子供がいました。その中の一人にヨセフというものがいて、このヨセフはヤコブからとても愛されていました。しかし、ヨセフは下から二番目の兄弟であるにもかかわらず、最も父の寵愛を受け、またそれを輪にかけるような発言をしたため嫉妬した兄たちによってエジプトの商人に売られてしまいます。
そこで侍衛長のポテパルに仕えるようになりますが、騙されて投獄されてしまいます。その獄中でヨセフが行ったのが「夢解き」です。「夢解き」とは何かというと、誰かの見た夢が何の予知夢なのかを解説することです。
その後しばらくしてエジプトの王が自身の夢の意味が分からなくて困惑しておりました。そのような中で王の「夢解き」をするようになったのがヨセフです。見事にその意味を解き明かし、エジプトを飢饉から救うことになりました。それによって王の信頼を得たヨセフは30歳でエジプトの総理大臣になるようになります。
その当時、ヨセフの父親のヤコブとヨセフの兄弟たちはカナンの地(イスラエル付近)に住んでいましたが、飢饉で食料もないためエジプトの王に相談しに来ました。そこでヨセフと再開した訳です。兄たちは最初、ヨセフが自分を売ったことを恨んで復讐するのではないかと思っていましたが、ヨセフはそのようなことはしませんでした。兄たちを赦したのです。この場面は聖書の中でも非常に感動的な部分です。その時のヨセフの言葉がこちら。

4) ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。
5) しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。
6) この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
7) 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。

ヨセフは兄たちによって自分が売られたのではなく、飢饉が起こることを神が危惧して家族を守るために先駆けて自分をエジプトに遣わしたのです!というようなことを言ってヤコブの家族をエジプトに招くようになります。
この部分の理解がすごい重要です。
それまで現在のイスラエルの付近に住んでいたユダヤ民族はこのヨセフの功績のおかげでエジプトに住むようになります。
そのまま何十年か何百年か経てばどうなるでしょうか。
エジプトの中でユダヤ民族が増えていくのです。いずれエジプトの王もヨセフの功績など知らない別の王がたつようになります。


ユダヤ民族のエジプト苦役時代

そのように時間が流れ、エジプト内でユダヤ民族が増えるとエジプトの王はどう考えるでしょうか。
ユダヤ民族を脅威に思うようになるわけです。『なんでこんなにうちの国はユダヤ民族がすんでいるんだ』『こいつらが一斉に蜂起したら大変だ』と思ったかもしれません。
例えば日本で外国人の数が急激に増えだしたりしたら、何となく怖いような気がしますよね。それと同じです。
そこでエジプトの王は国内のユダヤ民族を奴隷として扱うようになりました。
その時の記述が以下です。

6) そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。
7) けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。
8) ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
9) 彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。
10) さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
11) そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
12) しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。
13) エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、
14) つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当らせたが、そのすべての労役はきびしかった。

さらにこれだけではなくてエジプトの王はユダヤ民族に男子が生まれればこれを殺すように命令していました。


神の言葉に従ってユダヤ民族をエジプトより連れ出すモーセの登場

そのような悲惨な状況の中でユダヤ民族をエジプトから連れ出して、もともとヤコブ達が住んでいたカナンの地を目指して立ち上がったのがモーセです。
神がモーセに言われた言葉が次のようなものでした。

7) 主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
8) わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
9) いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
10) さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。

モーセははじめ自分にはそんなことは出来ないので他の人を遣わしてくださいとかウダウダ言っていましたが、神の命令なので最終的に従わざるを得なくなります。
詳細は割愛しますが、その後、三大奇跡と十災禍と呼ばれる奇跡を起こし、エジプトを苦しめたのでエジプトの王パロはユダヤ民族がエジプトから離れるのを認めるようになります。
しかし、ユダヤ民族がエジプトから去って間もなく王は心変わりしました。やっぱりユダヤ民族を絶やしてしまおうと追いかけてくるのです。
この時にモーセが紅海を割って民族は海を渡り、追ってきたエジプト人は皆、水葬に帰してしまったというのは何となく聞いたことがあるかと思います。

さて、その後、ユダヤ民族はどうなったかというと、現在のイスラエルのあたりを目指して未だに民族大移動の真っ最中なわけです。聖書によるとエジプトを去るときすでにユダヤ民族は200万人もいたと書かれています。そのリーダーになったのがモーセでした。モーセについても書きたいことは山ほどありますが、ここでは割愛します。

紅海を超えたのち、ユダヤ民族はシナイの荒野というところで神に礼拝を捧げます(神を畏れ讃えるようなこと)。そこで授かった言葉がまさしく十戒(じっかい)でした。


『十戒』の内容及びその解説

十戒

では十戒の内容を見ていきましょう。出エジプト記の20章から書かれています。
神はこのすべての言葉を語って言われた。

「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
①あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
②あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
③あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
④安息日を覚えて、これを聖とせよ。 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。 ⑤あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
⑥あなたは殺してはならない。
⑦あなたは姦淫してはならない。
⑧あなたは盗んではならない。
⑨あなたは隣人について、偽証してはならない。
⑩あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

どうでしょうか。これが十戒の日本語口語訳の原文です。実はこの後、モーセはもっと細かい律法をひたすら長々と実に3章分くらい、ユダヤ民族に語っています。これがのちにユダヤの律法となりました。逆に言えば、それまでは彼らの中でまだ明確にそのようなものはなかったのかもしれませんね。

十戒の一つ目は

①あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

です。これは実にわかりやすいですね。
偶像崇拝の禁止です。偶像崇拝というのは何か別のものを自分の神としてあがめたり賛美することです。ユダヤ教というのは基本的に世界で一番初めに出てきた一神教とされております。今ではキリスト教もイスラム教もありますので普通ですが、世界史的には元々多神教が主流だった中で唯一神をあがめるようになったのは非常に稀有な事例だったと思われます。
この戒めを通して感じるのはひたすらに『厳粛さ』です。神自身が私こそが唯一の神であるという宣言文であり、その認識が最も大事であるということです。

また十戒を大別すると前半の4つまでは総じて「神と人間の在り方」を示しています。

うーん、ちょっと日本人にはなかなか伝わりにくいと思いますが、どこまでも神様第一主義なんですよね。
ユダヤ教は今でも非常に厳格だと思われます。
神以外の何であっても神のようにあがめてはいけない、ということです。しかし私たち自身もいろんなものを自分の中心として普段から生活していますよね。

人によって、それは「お金」だったり、自分の「趣味や好きなこと」だったり、または「夫」や「妻」、「友達」や「仕事」「社会的地位」であったりするかと思います。

でもユダヤ民族にとっては最も大事なものは「神」だったんですね。

2つ目では「刻んだ像」を造ってはならないとも明確に言っていますよね。
十戒はあくまでもユダヤの律法のもととなったものですので、キリスト教徒も旧約聖書を用いることはありますが、教えは当然違います。

例えばクリスチャンはイエス・キリストの像とかに祈ることってあるじゃないですか。日本でも仏教などの仏像があってそれに手を合わせることありますよね。

でもユダヤではおそらくそういうことはないんじゃないかと思います。

少なくとも当時は神は超越者というか人間や物質世界を超えた存在なので「物」をこれが私の神だ!として拝んではいけないとことです。

3つ目は中々とらえにくいです。神の名をみだりに唱えてはならない、って呼んじゃいけないの?って思います。

でもおそらくこれはどういう気持ちや動機で神の名を唱えるかってことだと思うんですよね。

何か神に頼るようなすがるような動機で「神」と唱えるのか。

例えば、「神様どうか明日は外出するので晴れにしてください」って願っても神からしても「知るか」って感じになるじゃないですか。その軽さというか、ある意味神を利用するような心情で神の名を呼んではいけないよ、って話だと思います。

どこまでも恐れ多い存在として呼びなさいよって感じですね。

4つ目は安息日です。
私の子供のころはまだ土曜日に学校がある週があったのでそういう週は日曜日だけが休みでした。日曜日が休みというのは昔から決まってましたが、なぜ日曜日が休みなのか、それも実は聖書に起源がありました。
これをユダヤでは「安息日」といいます。この十戒はもっと厳しくて休むどころじゃなくて本当に「何もしてはいけない」んです。

食事の用意も1キロメートル以上歩くこともできないそうです。我々からしたら何の罰ゲームだよ!って思いますよね。

元々は創世記の一番最初のところで神が「光あれ」といったところから宇宙を創造していく過程が書かれているんですが、全部で6日間の創造だったって書かれています。

そして7日目に休まれたと、だから人間も7日目に休みましょうって感じです。

でも冷静に考えると別に7日目に休まないといけないわけじゃないんですけどね。最初に決めたことがそのままずるずる行ってしまうこともよくあるじゃないですか。実際その必要性は全くなくて、みたいな。

5つめは

『あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。』

となっております。ぱっと見ではこれが5番目に来ているのは不思議な気がしますが、視点を変えればなるべくして5番目になったとも言えます。
というのも①~④は「神に対する姿勢」でした。これは「親に対する姿勢」を戒めています。

人間同士のかかわり方に入る前にまず自分の親との関係について説いている訳ですね。

近年では「毒親」という言葉があるほど、自分の親を敬う問うのは難しいことである場合があります。立派な親であれば容易かもしれませんが、困難なのはそうじゃない場合ですね。

でもよくこの戒めを読んでみてください。

親がどのような人物であるかということが規定されていますか?

全くないですよね。
それこそが戒めだと思います。つまり、
『立派な人であれば』あなたの父と母を敬え、と書いてあるわけではないんです。

無条件で、どんな親でも敬うべきだ、と言っているんです。これを聞くと強烈に反発を覚える人もいるでしょう。

私も昔、自分の両親が嫌いで仕方がありませんでした。モラルがないし、怠惰な人たちだと思っていました。
でもその想いに囚われ続けるのは大変むなしいことだと思うようになりました。

今では敬うとまではいかないかもしれませんが、両親のことを赦そうと思えるようにはなりました。でもこの戒めが成就するまでには私自身もう少しかかりますね笑

6つ目は

⑥あなたは殺してはならない。

のみとなっています。やはり『誰を』という記述はないんですね。これだと動物も殺しちゃダメなの?ってことにもなってしまいますが笑。

まぁ普通に生きていて人を殺めるということは少ないと思います。
なぜなら私たちは人を殺めるということがしてはいけないことだと知っているし、法的にも明らかにいけないことであるからです。 でも逆に考えてみるとこの時まではこんな当たり前のルールさえ明確になっていなかったということではないでしょうか。
これは人を殺めてはいけないということに対して一つの回答でもあるのではないかと思います。道徳的な話で「なぜ人を殺めてはいけないのか?』というのを聞いたことがありませんか。
私が高校生だった時に当時の先生は『自分が殺されたくないからだ』と堂々と言っていました。その先生は大変良い授業をする人で説得力があったので私は「なるほど~」と思ったことを覚えていますが、冷静に考えてみると、『え?じゃあ自分が殺されてもいいという人は人を殺めてもいいんですか?』という話にもなりかねないんですよね。

一つの回答といったのは唯一なる神が『あなたは殺してはいけない」と言っているから、ということになります。
日本人的な感覚だと、それが理由になるのか?と思うかもしれないですが、宗教家にとっては神が言ったことに対して口答えしたり疑問を持ったりすることじゃなくなるんですよね。
そういう面があります。

残りの4つは

⑦あなたは姦淫してはならない。
⑧あなたは盗んではならない。
⑨あなたは隣人について、偽証してはならない。
⑩あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

となっていますが、
こちらはそこまで開設する必要もないわかりやすい内容なので割愛します。


モーセの『十戒」のまとめ

以上がモーセの十戒についての解説でした。もう何千年も前にできたこの律法ですが、残念なことに現代となってもこれらが全て守られることはなく、依然として痛ましい犯罪や行為が横行しています。私も一宗教家としてその原因として感じるのは個人個人の中に悪なる要素が必ず存在しているからだと思います。問題なのはそれを完全に克服しうる方法があるのか否かということですが、正しいプロセスをたどることによって人間が完全な善性だけの存在になれるのではないかと考えています。
あまりにもシンプルな内容の十戒ですが、それは神との関係、親との関係、そして隣人との関係で構成されており、まず第一に神との関係を私たちは見直す必要があるのではないかと考えられます。

それじゃ、また。