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人間は死んだらどうなるの?死後の世界である霊界は存在するのか否かという疑問に対してなるべく理論的に答えてみる。

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こんにちは。

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今回は死後の世界についての話です。

自分の家族や友人が死んだりすると、『死』というものがとても身近に感じられますよね。

そしてこのように思う人が多いと思います。

『人間は死んだらどうなるのだろう?』
誰でも一度は真剣に考えてみたことがあるのではないでしょうか。

今日は『人間は死んだらどうなるのか』『死後の世界は果たして存在するのか』という疑問に対して、なるべく理論的に説明したいと思います。

人間は死んだらどうなるのか?という問いに対して、世の中にある見解を大別すると次の3通りあることを知っていますか?

①死んだら体は分解されて何もなくなる。無に帰す
②どのような人生を送ったかによって天国か地獄に入っていく
輪廻転生し、別の生命に生まれ変わる。

この3つです。
①はほぼ無宗教である日本人などに多い発想ですね。死んだら遺体は火葬されるので、原子レベルまで分解して何も残らない。当たり前のようにそう信じている日本人は多いかと思います。
 僕が疑問に思っていたのは、死んだら自分が今持っている『意識』はどうなるのか?ということでした。自分が自分であるという感覚、五感を通して外界を認識している感覚、そして物事について考えている感覚。
考えることも認識することもできなくなるのか、と思うと少し億劫になりました。

また信仰心のない日本にもお墓は存在しますよね。お墓参りに行ったりしますし、お坊さんが家に来てお経を唱えたりしますね。もし死後の世界が全く存在しなかったら、そのような振る舞いに意味はありません。ただの自己満足であるということを自覚しながら、その場に臨んでいるのでしょうか。僕にはわかりません。
もし死んだら無に帰すということを絶対的に信じていながら、お墓参りに行くのであればそれは大きな矛盾であり、何もしない犬や猫などの動物のほうがよっぽど利口かと思います。

②はキリスト教やイスラム教などの一神教に多い発想かと思います。すなわち自分の人生でどのような振る舞いをしたか、毎日の5回の祈祷や罪の告白、善行や悪行の積み重ねなどによって死んだら天国に入る人もいれば地獄に入る人もいる、という感じでしょうか。

③は仏教的な発想になります。六道輪廻っていうのでしょうか。やはり人生の行いにより、仏になるか再び人間に輪廻転生するか、またはその辺の蜘蛛にでも輪廻転生するか、いずれにせよ、再び人生はめぐるということです。

しかし、何を信じているかによって結果がこの3つに分かれるということはあり得ませんよね。
仏教徒は輪廻転生して、キリスト教徒は天国か地獄に入って、日本人は無に帰す、ということはないのです。すなわち人間に生まれた限りはこの中のどれかが大体正解であり、皆同じという訳です。

果たしてどれが正解なのでしょうか?


結論:人間は死んだら霊界に行って永世するようになります。

いきなりですが、先に結論を書きたいと思います。
人間は死んだとしても無に帰すわけではありません。
死んだら、霊界に入っていってそこで永遠の生を生きるようになります。永遠といっても時間があるわけではないので永遠でもあり一瞬でもあるのかもしれません。

とにかく死後の世界は存在する、というのが答えです。

とても残念なことですが、日本にも毎年自殺をする人がたくさんいますよね。
彼らは死んだら楽になれると思っているのかもしれませんが、死んだとしても自分との付き合いがなくなるわけではないのです。 自分のことがあまり好きではないという人も然りです。自分との付き合いは永遠なので、自分自身のことを誇れるような生き方をすべきでしょう。
そして自分のことを好きになれるように努力すべきでしょう。

それでは次になぜ霊界が存在すると言えるのか、ということをなるべく理論的に解説したいと思います。

人間は二性性相なのでこの被造世界も二性性相で創られているから。

これが霊界が存在しているといえる最も中心的な理由です。
以下の図を見てください。

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前回までの記事で人間は二性性相を持っているということを紹介しました。そして宇宙を創った原因である神自体もやはり二性性相で存在していました。

神が性相と形状を持っているがゆえに、人間も性相と形状である心と体を持っています。だとしたら、この被造世界はどうでしょうか。

同様にやはり二性性相で創造されているのです。すなわち目に見えない無形実体世界(霊界)と有形実体世界(宇宙)が存在していてもおかしくはないという結論になります。

もう少しいうと人間の体というものは、この宇宙の中に地球という星があって、だからこそ存在することが出来ます。もし宇宙がなければ、人間の体が収まる場所はありません。
故に人間の心も同じです。人間の心または霊人体と呼ばれる霊的な体も収まる場所がなければなりません。
それがまさに霊界なのです。

原理講論には次のように書かれています。

無形世界は主体の世界であり、有形世界は対象の世界であって、後者は前者の影のようなものである。有形世界で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに無形世界に行って永住するようになる。

『無形世界は主体の世界』と書かれているように有形世界よりも無形世界のほうが本質的なものであり、より重要なところであるということを言っています。
死んだ人は肉身はなくなりますが、目に見えない霊人体はなくなりません。直ちに無形世界に行くようになっているのです。


神の心情的に無形世界は存在するか否か。

今度は別の視点から霊界の存在を説明しようと思います。神が人間の親であるという観点からの説明になります。

神は親として人間のことを愛しています。
元々神が人間を創造したのも人間を通して喜びを得るためでした。以前の記事で紹介しましたが、人間が三大祝福を成就して最高に幸福に生きる姿を見て親なる立場で喜ぶためでした。

my-road.hatenablog.com

神は元々永遠の存在でありますので、もし霊界がなく、人間が死んだら完全に無に帰す存在として創造してしまうと、神の喜びは人間がいる間だけのものになってしまい、期間限定のものになってしまいます。
それでは本来の神の目的を果たしたとは言えないでしょう。

また、もっと一般的に考えて、親が自分の愛する子供といずれ別れたいと願うでしょうか。
親に限らず、人間の親しい友人同士でも構いません。
自分の愛する人といずれ別れなければならないとしたら、それはとても悲しいことではないでしょうか。
普通は自分の愛する人とずっと一緒にいたいと思うはずです。
もし神が親なる立場で人間のことを本当に愛しているのであればやはり、自分の愛する子供とずっと一緒にいたいと思うでしょう。
それなのに全知全能である神が人間の存在を一時的な、期間限定のものに創造する理由があるでしょうか。

そのような道理はありません。
ですので神が人間がこの地上で死んでからも一緒に過ごすことが出来るように霊界を創造されたはずというのは至極当然のことだと言えます。


人間自身も永遠を願う存在である。

人間自身も永遠に存在することを心の中で願っているように思います。正確には人間は堕落しなければ、霊界の存在を自然に知ることが出来るように創造されていました。

しかし、原理講論でいえば第2章で説明されている堕落論にあるように堕落したがゆえにそのような事実が分からなくなってしまいました。

堕落した後の人間であっても何となく霊界、すなわち永遠の世界が存在していることを感じ取っているような気がします。

最初に挙げた『墓』もその一つです。
自分の両親や親しい人、先祖たちがあの世で安らかに生きていてほしいと、そして自分自身も死んだ後にもう一度彼らに会いたいという願いがあるのではないですか。
そうあってほしいと心から願い、そして何となく霊界の存在を感じ取っているがゆえに死者に思いを馳せるのではないでしょうか。

中国などの昔話の中にも不老不死の薬を探し求める、そんな内容のものがあったと思います。

またアーティストが歌う歌の中にも『永遠』という言葉が使われることはよくありますよね。
誰しも自分の大切な人とずっと一緒にいたいと願っているのです。子供である人間がそれだけ願っているのに、神が霊界を創らないなどということがあるでしょうか。

そんなことはありません。だから必ず死後の世界は存在するのです。

未来永劫 ・ 終古 ・ 永久 ・ 久遠 ・ 万古 ・ 万世 ・ 生生世世 ・ 常世 ・ 終天 ・ 長久 ・ 万劫末代 ・ 万代 ・ 千古 ・ 永遠性 ・ 万劫 ・ 生々世々 ・ 永世 ・ 千代 ・ 無窮 ・ 永代 ・ 永劫 ・恒久

同様の意味の言葉が世の中には多くあります。
しかし目に見えるこの宇宙の中を眺めてみてもただの一つもこれらの言葉に当てはまるものはありません。目に見える世界には限りがあります。しかし霊界は主体の世界なので限りのない世界です。
これらの言葉が生まれたということは人間が無知でありながらも、わずかでもその存在を感じ取って、心から願っている証だということです。

今回は割と短めですが、ここまでにしたいと思います。